皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
最近『チェリまほ』記事ばかりでしたが、今日は久しぶりに歴史ネタを書きます。
『遠の朝廷にオニが舞う』の続編のために資料を読んでいたら、ちょっとおもしろいお話がありましたので、ご紹介したくなりました。(このお話は続編とは無関係です)
皆さんお馴染み、『かぐや姫』として有名な、日本最古の伝奇小説『竹取物語』。
千年以上昔の作品とは思えないほどスケールの大きな、想像力豊かなお話。
このルーツが、なんと鹿児島にあるのではないかというのです……!
参考文献はこちら、森浩一『海から知る考古学入門』(角川書店)。
古代において、南西諸島(薩南諸島・琉球諸島)で生産される貝が、装飾品などとして珍重されたことは、古代史に興味を持った方なら聞いたことがあるかもしれません。ゴホウラやイモガイを切って作った腕輪は、副葬品として弥生時代の有力者の墓などに一緒に葬られていることが多いですので、目にしたことのある方も多いことでしょう。
加工されて装飾品に使われるゴホウラやイモガイ、夜光貝などとは別の意味で珍重された、宝貝と言われる貝があります。
この貝は貝殻が美しく、また裏側が女性器に似ているで子安貝と呼ばれました。日本ではさほど人気がありませんでしたが、中国では大変珍重されたそうです。
「子安貝」といえばぴんときた方もおられるのではないでしょうか?
なよ竹のかぐや姫は、押し寄せる求婚者をかわすため、どうしてもあきらめなかった5人の貴公子に難題を出します。
その中の一人、石上中納言に出された難題が「燕の子安貝」。子安貝は当時日本ではあまり知られていませんでした。つまり、竹取物語を書いた人は、子安貝が何で、中国でいかに大事にされていたかを知っていた、ということになります。
また、「かぐや姫」という人名は、実は『竹取物語』が初出ではありません。
『古事記』では垂仁天皇の后の一人に、「大筒木垂根王の女(むすめ)の迦具夜比売(かぐやひめ)」の名が記されており、カグヤ姫は筒木地方(今日の京都府京田辺市から八幡市)に伝えられた女性の名と見られるそうです。
この筒木地方は古くから竹の産地として知られています。
また、古墳時代にこの地方には大隅隼人が移住しています。
大隅隼人といえば、もともとの居住地は現在の鹿児島県。古代、貝の交易ルートの上で重要な場所と考えられたところです。
これらの事実から、「南九州の隼人が原型を持ち込み、山背(筆者注;京都府京田辺市・八幡市周辺)でまとまったのが日本最古の小説と言われる『竹取物語』であると僕は考えている」と、『海から知る考古学入門』の筆者である考古学者の森浩一氏は述べておられます。
あの伝奇小説の元ネタが鹿児島にあったとは……!
けれど、今までのブログでも述べたように、当時九州は大陸に近く、交易の拠点となり、様々な文化の交差点ともなりました。
様々な文化の刺激を受けていたからこそ、あれだけのスケールの物語を作ることができたのかもしれませんね!
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!