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目次・登場人物紹介
『大江山恋絵巻~鬼の巻~』 目次
主な登場人物 3
第一章 鬼の誕生 5
第二章 深山での出会い 31
第三章 鬼の目覚め 61
第四章 花々の声 93
第五章 茜の恋 137
第六章 鬼の腕 169
第七章 侵入者 201
第八章 鬼が城炎上 227
終章 鬼の終焉 257
あとがき 267
著者紹介・関連サイト 270
主な登場人物
酒呑童子(しゅてんどうじ)………… 大江山・鬼が城の主。都では人食い鬼と恐れられている。
茨木童子(いばらきどうじ) ………… 酒呑童子配下の鬼。美しく近寄りがたい雰囲気の持ち主。
茜(あかね) …… 池田中納言の姫(ひめ)。五歳で実母を亡くし、父とその妻に育てられる。
浅茅(あさじ) …… もと貴族の姫で、大江山に暮らしている。明るく気取らない性格。
紅葉(もみじ) ………… 大江山に暮らす、もと貴族の姫。美貌の姫で、琴の名手。
渡辺綱(わたなべのつな)…………… 源頼光の家来。頼光の四天王と呼ばれる、最強の四人の武士のうちの一人。
源頼光(みなもとのよりみつ) …………… 都の武士。妖怪退治の実績で帝の信頼を得ている。
金熊童子(かねくまどうじ) ………… 大江山に暮らす民の一人。製鉄の技術に長けた一族の末裔。
石熊童子(いしくまどうじ)・星熊童子(ほしくまどうじ) …… 大江山に暮らす民で、城の警護役。
第一章『鬼の誕生』第一話 酒呑童子【酒吞童子】
オレがどうして鬼になったか、その話を聞きたいのか?
後に大江山(京都の北部にある山)にその鬼ありと恐れられた、あの酒呑童子がどうやって生まれたか。
オレが酒呑童子と呼ばれるようになる前の名は、外道丸といった。
外道って、人の道に外れたことなんだぜ。ひでぇ名前をつけやがるもんだ。
いや、そう呼ばれてたってだけで、本当の名前は他にあったと思う。忘れちまったけどな。
え、自分の名前を忘れるなんて、トシのせいじゃないかって?
失礼だな、まだ頭はしっかりしてるぜ。
オレの年? もう数えるのも面倒でやめちまったよ。百十四歳の年のことは覚えてるけど、その先何年経ったかは……。何だと、立派なじいちゃんだって?
こんなイイ男つかまえてなんつーことを!
オレは鬼だっつったろ、人とおんなじようには老けねえの!
けど、外道丸なんて名をつけられたのは、ひょっとしたら、その先の運命を、誰かが予見していたからなのかもしれない。オレが十四の年に、オレに関わった人々に降りかかった災いと、そしてオレの身に起こった、恐ろしい出来事を。
オレが生まれたのは越後の国(現在の新潟県)。雪が深くて、水の綺麗な国だ。おまけに米もうまい。
水が綺麗で米がうまいときたら、当然酒だよな。越後の酒は本っ当にうまいんだ。口当たりが柔らかくて、それでいて喉(のど)ごしがすっきりして、おまけに悪酔いしないと来てて……。もっとも、オレが越後の酒を初めて味わったのは、ずっとずっと後のこと。人の姿の間は、酒を飲んだことなんてなかったからな。
オレは小さい頃に国上寺(くにかみでら)に預けられて、そこで育った。坊さんの手伝いをしながら修行する、いわゆる稚児(ちご)ってやつだ。
坊さんたちは厳しい時もあったけどよく可愛がってくれて、オレはまあまあ幸せに育ったと思う。稚児だから、ハゲにしなくてもよかったしな。
勉強や修行も、きゅうくつだけど嫌じゃなかった。ちょっと渋くてイイ男の坊さんが熱心に教えてくれる時なんかは、余計に身を入れて勉強した。それが後で自分の身を助けることになるとは、その時は思いもしなかったんだけどな。
勉強に修行に寺の雑用、色々忙しく過ごしてるうち、またたく間に月日は過ぎて、オレも年頃になった。
そしたら、この美男ぶりだろ? 近所のお嬢さんたちがほっとかなくなった。
最初のうちは、女の子たちも遠巻きに見つめてるだけだった。でも、一度オレが寺の使いのついでに、行き倒れてる村のじいさんを見つけて、家まで送り届けたことがあった。
そこを村の女の子たちに見られてからだ。
「外道丸くん、カッコいいだけじゃなくて、優しい! ステキ!」
別にオレは特別優しいわけじゃない。目の前で人が倒れてたら、そりゃ誰でも何とかしようとするだろ。当たり前のことをしただけだ。でもその時以来、オレを見ようと群がって来る女の子たちが一気に増えちまって、しかも遠慮会釈もなく声をかけてくるようになったんだ。
寺の使いで村に出かければ、
「きゃあああ、外道丸くんよ! こっち向いてえっ! 笑ってえっ!」
行く手には女の子の壁。祭りかと思うほど、派手に着飾(きかざ)ってこれ見よがしに大きく手を振ってる子から、友だちの後ろに隠れてちらちらこっちを盗み見してる子、目を潤ませて、ひたすらうっとりとこっちを見つめてる子……。
仕方ないから「ごめん、通してくれる?」って愛想笑いでもしようものなら、黄色い悲鳴が雷みたいに耳をつんざいた。
それを何とかいなして寺に帰れば、山のように恋文が来てて、「好きです! 付き合って下さい!」って毎日のように言われる。
まあ、それでもそう言われたら悪い気はしないから、とりあえず恋文くれた子と、何回か会ってみるじゃん。でもそのうち、
「外道丸くん、わたしのこと、本当は好きなんかじゃないでしょ!」
「わたしのこと何にも知らないし! 恋文だってちゃんと読んでないでしょ! あんなに時間かけて書いたのに!」
「ひどい、もう別れる!」
けっちょんけっちょんに言われて、結局サヨウナラ。
付き合う時は毎回、今度こそ! って思うんだけどな。
その繰り返しだった。
そんなある年のことだった。村で疫病が流行った。
疫病っていうのは人から人にうつる、いわゆる伝染病のことだ。
何の因果か、オレのあまたいる元恋人————といってもいいのかな。何度か会った女の子たちが、そろって疫病にかかって死んじゃったわけよ。二人で会ってなくても、恋文をくれただけの女の子たちまで。
そしたら、村の人たちは、ころりと態度を変えたね。きゃあきゃあ言ってた女の子たちも含めて。
「外道丸に思いを寄せていた娘がことごとく死ぬなんてな。あの男、呪われてるんじゃないか?」
「子どもの時から顔が整いすぎてておかしいと思ってたのよ。実は鬼神の血でも引いてたりしてね」
あげくの果てには、
「あのまま寺にいたら、また犠牲が増えるんじゃない?」
「ずっと前に外道丸が助けたっていうじいさん。あの後寝たきりになって、家族は大変らしいぜ。大きな声じゃ言えねえけどな、もういい年齢(とし)だったから、寝たきりになるくらいならあのまま逝ってくれた方がよかったのになんて言わんばっかりだったな」
正直、ここまで言うか? ってくらい。寺には、毎日のように誰かがやってきた。キャアキャア言ってた若い娘から、その親たち、じいさんばあさんたちも。皆言うことは同じ。
「外道丸をどこかへやってくれ」
って。
寺の坊さんたちはオレを庇ってくれたよ。
「疫病で命を落としたのは娘ばかりではなかろう。病を外道丸のせいにするのは、おかしいのではないか?」
でも、村の人たちは聞く耳持たなかった。今考えれば疫病への恐れで、ちょっと正気を失ってたんだろうな。それに、もともとオレ、村の男たちにはよく思われてなかったもんな。モテすぎたせいで。
さすがのオレも落ち込んだ。
それに、どの子にも本気になれなかったオレだけど、短い間とはいえ付き合った女の子、みんながみんな死んじまったと思うと、今さらながらにその子たちのことがひどく可哀想に思えて仕方なくなった。
そういえばオレ、あの子たちのこと、ろくに知ろうともしなかった。
いっつも同じこと言われてフラれてたな。
『わたしのこと何にも知らないし! 恋文だってちゃんと読んでないでしょ!』
オレはふと、しまいっぱなしだった恋文の箱を開けてみたくなった。もう遅いんだけど、せめてあの娘(こ)たちがどんな気持ちで自分に恋文をくれたのか。それくらい知っておかないと、あの娘たちも浮かばれない気がしたんだ。
あんな恐ろしいことが起こるとは、夢にも思わずに。
恋文をしまってあった箱は、しばらくほったらかしにしていたせいで、うっすらと埃をかぶっていた。埃を丁寧に払って蓋を開けると、これまたすっげえ埃!
あれ、おかしいな、蓋をちゃんと閉めてたのに、なんでまた埃が積もってるんだ?
煤払い(大掃除)の時に、誰かが部屋中の埃を集めて押し込んだのかな。
塵も積もれば山となる、っていうし。
いや待て、寺の中に山なんか作ってどうしようってんだ。しかもいっくら山になったって、塵は塵だろ。いきなり金や米に変わるわけじゃなし。
とりあえず恋文を取り出そうと埃の中に手を突っ込んだとたん、うえっ、ぺっ!!
箱の中の埃が、まるで元の場所に戻ろうとするみたいに、天井まで舞い上がったんだ。
埃どころか、煙だ、煙! まるで浦島太郎の玉手箱! ってそれは別の話!
とにかくオレは、その煙だか埃だか分からないものをまともに顔面に浴びて、気を失っちまった。
どれくらい時間がたっただろう。目を開けると、両手は埃まみれで、口も鼻も、吸い込んだ埃で気持ち悪いったらない。
とにかく顔を洗おうと、オレは井戸へ向かった。
井戸水を汲んで手と顔を洗い、あーさっぱりした! と思ったら猛烈に喉が渇いてきた。水を飲もうと、綺麗な水を汲み直して水面に顔を近づけたその瞬間。
オレは悲鳴を上げて飛び退った。
水面に映ったのは確かにオレだ。オレの顔だ。けれどその額には、牛のような角が一本、まっすぐに生えていた。
……オレは、鬼になってしまったんだ。
さすがに寺を出ないわけにはいかなくなった。
「その姿ではどこへも行けまい。村の者たちの目には触(ふ)れぬようにしてやるから、今までどおりここで暮らさぬか?」
ありがたくも、そうやって引き止めてくれた坊さんもいたけれど、オレは断った。
これ以上、寺に迷惑をかけたくなかったんだ。
こんな姿になったのは、多分オレへの罰だ。
あれだけ沢山の女の子に想ってもらったのに、誰も幸せにできなかったオレ。
可愛がって育ててくれた寺の坊さんたちに、何ひとつ恩返しもできなかったオレ。
オレはここにいちゃいけない。仏さまがそう言いたくて、オレをこんな姿に変えてしまったんだ。
それからオレは長いこと越後の山中をさまようことになった。
名前のとおり、他の人々の歩く道から、外れてしまったんだ。
こんな罪深いオレが、ついに運命の相手に出会う、その時まで。
第一章『鬼の誕生』第二話 茨木童子【茨木童子】
私の名は茨木童子。鬼になってからの名だ。
それまでの名は捨てた。
人であった時のことなど、思い出したくもない。
鬼になってようやく、私は自分自身の生を生きられるようになったのだから。
だから話したくないのだ。人であった時のことは。
おまえたちに今さら話して、どうなるというのだ。
……
そうか、分かった。あの方がお望みなのであれば……。
私は越後の国に生まれた。
村で生まれたほとんどの人間が村の中で育てられ、大人になり、子をなし、ひたすら租(そ)(税)を納めるために田畑を耕し、そして一度も村を出ることなく死んでいく。そしてよそ者が住み着くことなどめったにないような、そんな小さな村だった。
私は物心ついて間もなく、両親が異常に私の顔かたちを気にしているのに気づいた。
私にはそれが不思議でならなかった。
私が最初に自分の容貌が人と違っているのに気づいたのは、それより少し前だったように思う。
「わあ、すごく綺麗な坊や」
「先が楽しみね」
私より少し年長かと思われる女の子たちが囁き交わす声と、こちらをのぞき込む視線。それらがやけに鮮明に、私の記憶に刻まれていた。しかし、その子たちの声はいつしか聞こえなくなった。その理由を私が知ったのは、ずっと後のことだったけれど。
少し大きくなってあちこち出歩けるようになり、こっそり水面に自分の顔を映してみると、年齢の割に鼻筋は通って細く、目元はすっきりとしていて、同じ年頃の他の子どもたちよりは多少顔立ちが整っているらしいことは分かった。けれど、女子(おなご)でもあるまいし、顔かたちなどをなぜ気にするのか分からなかった。両親は、将来どれほどの美男になるのかを楽しみにしているというよりは、むしろ不吉なものを見るような目で、私の顔の変化に目を凝らしているように見えたのだった。
村には同じ年頃の子どもも何人かいた。けれど私は、友だちと遊ぶより、遠い空の変化を追いかけたり、大空を自由に翔ける鳥たちの行く先に思いをめぐらしていたりする方が好きな子どもだった。
家の手伝いをしなくていい時は一人でいることが多かったから、大人からも子どもからもよく、こう言われているのが否応なしに耳に入ってきた。
「あいつは何を考えているのか分からない」
と。同じ年頃の子どもたちも、一人を除いては、私のことは遠巻きにして眺(なが)めるだけだった。
その一人というのは、私より二つばかり年長の烏丸(からすまる)という少年だった。彼は、暇さえあれば田んぼのあぜ道に座ってじっと空を眺めている私に、屈託なく話しかけてきた。
「いつもそうやって、何を見てるんだ?」
私はすぐには答えなかった。すぐに諦めてどこかへ行くと思ったからだ。ところが、彼は私の側に座って、私の視線の先を目で追った。
「へえ、こうやって見てると、空って面白いな、雲の形も場所も色々で、しょっちゅう変わってくんだな」
私と同じものを見ようとしてくれたのは、彼が初めてだった。だから私はつい、心に思っていたことをぽろりと口に出してしまった。
「あの空の向こうには、何があるんだろうと思って。あの鳥たちは、何を求めてどこに行くんだろう」
すると烏丸は、興味深そうに私の顔をのぞき込んだ。
「へえ、おまえ、チビなのになんかすげえな。オレなんかに思いつかない、えらいでっかいこと、考えてるんだな」
そう言って烏丸は再び、私の視線の先を追うように空を見上げた。
烏丸は他の友だちも多かったから、しょっちゅう一緒にいたわけではなかった。友だちと言えるほど親しかったのかどうか、今となってはあいまいだ。
ただ、たわいもない話をしながらただ二人、同じ空を眺めている時間が、幼い私にとって、数少ない心安らぐ時間だったのは間違いなかった。
父と母が急に話があると言い出したのは、七歳になった正月のことだった。
両親の前に座らされた私は、私が神社に預けられることに決まったと告げられた。
一瞬驚いたが、心のどこかで醒めた一点が、来るべきものがとうとう来た、とつぶやいたのを覚えている。両親の私に対する態度が、他の親が自分の子に対するものより、どことなくよそよそしいことは、幼いなりに気づいていたから。
聞いても教えてくれないだろうと思いつつ、私は一応父母に理由を問うた。
すると両親は、私に思いもかけないような話をしてくれたのだった。
「今となっては、直接知っている者もいないほど、遠い昔のことだが……」
父はそう前置きすると、静かに語り始めた。
今から百年ほど昔のことだそうだ。私たちの村から、歩いて一日ほどのところにある、国上寺というところに、人間離れした美貌を持つ稚児がいたという。寺の使いで村にたまに姿を見せるだけで、村中の娘がその姿を見ようと集まってきたというから、その美貌のほどがうかがい知れる。
恋文を送る娘、言い寄る娘は後を絶たず、その稚児は娘たちをとっかえひっかえしていたというが、ある年、村に疫病が流行り、稚児に言い寄っていた娘たちは、ことごとく命を落としてしまった。
その稚児が、村に呪いをかけたのだ。村の人々はそう言って、寺にその稚児を追い出すように求めた。
しかし、そうするまでもなかったのだ。
それから間もなくのこと、稚児は鬼の姿になって、どこへともなく姿をくらましてしまったのだという。
父が話を終えた時、気が付くと、外では静かに雪が降り始めていた。
あらゆる音を飲み込むような、白く冷たい雪が。
「父さんと母さんは、おまえが同じようなことになるんじゃないかって、心配してるんだよ」
まだ小さかった私にはその話の半分も理解できていなかったが、何とも後味の悪い話だと思ったのを覚えている。
稚児は最初から鬼だったのか。邪悪な意志を隠していて、娘たちをたぶらかし、その命を奪ったというのか。
それとも、娘たちを病死させた罪を背負って鬼になったというのか。
しかし、冷静に考えれば、娘たちは疫病で死んだのだ。たまたま稚児に言い寄っていた娘が全て死んだからといって、その稚児はとがめられるべきものだったのだろうか。
そもそも、稚児が鬼になったというのは、本当なのだろうか。
その時聞いた話には納得のいかないことは沢山あった。
私が幼いなりに感じた疑問を言葉にすると、母が言いにくそうに切り出した。
「実はね、おまえがもっと小さかった頃のことなんだけれど……」
私がまだ三つか四つだった頃、数軒先の、五歳と七歳ほどの姉妹が私の容姿を気に入り、しょっちゅう花や手づくりのおもちゃを持って遊びに来ていたという。
農作業が忙しい父母は、姉妹が子守をしてくれるのについつい甘えていたが、私のところに通うようになってひと月もしないうちに、姉妹は熱病に罹って二人とも亡くなってしまったという。
体の弱い子どもが病気で死ぬのは珍しいことではない。姉妹の両親も、ことさら私と姉妹の熱病を結びつけて考えたりはしなかった。しかし、両親はそうは考えなかった。
もし、これが、百年前の稚児と同じ運命をたどる前触れだったら。
この時は私が小さく、私の容姿はまだ目立たなかったから、村の人々は不幸を私の容姿と結びつけたりはしなかった。けれど、年頃になったらそうはいかないだろう。両親はそう考えたのだった。
このまま私が両親の元に留まれば、いつか災いが起こるのではないかと両親を悩ませ、もし何か村に不幸が起こった時に、他の村人たちから両親が責められることになるのだ。
「寺では、その稚児が鬼になるのを止められなかったのだ。八百万の神々がおられる神社なら、きっとおまえを守ってくれる。もともと七歳までの子は神様のお子なのだ。人の子にならず、神々の元に留まるだけなのだ」
父は言葉に力を込めた。
七歳までの幼子は、病気や事故で命を落とすことが多い。だから七歳までの子は神々のものと考えられ、七歳になってようやく、人の子と認められる。七つの年に祝いをするのは、そのためだ。
七歳になった私を神社に預けようという父の意図も、分からないではなかった。
「別に二度と会えなくなるわけじゃないのよ。時々はお休みをもらって帰って来てもいいのだし」
私が気落ちしていると思ったのだろうか、母が励ますように言い添えた。
私は黙ってうなずいてみせた。
最初から私に拒否などできるはずがなかった。泣いてすがったところで両親の気持ちは変わらなかったろう。この容姿で生まれてきた以上、私の居場所など、この村にはないのだ。
父の話はなんとも嫌な気分にさせるものであった。しかし、私は不思議と、百年前のその稚児さえいなかったなら、自分が神社に預けられることなどなかったのに、とは思わなかった。
それどころか、私はまるで違うことを考えていた。それほどの美貌の稚児というのは、どんな顔をしていたのだろうか。できることなら一度見てみたかったものだ、と。
今にして振り返れば、私はその時、先の運命を予感していたのかもしれない。
昔話に出てきた美貌の稚児————酒呑童子さまとの、定められた運命を。
神社での生活は、両親の元での生活に比べて、特に快適というわけでもなかったが、苦痛ではなかった。決まりごとが多く面倒で、気難しい神主に振り回されはしたが、農作業に比べれば体への負担は少なかったし、食事も実家よりは良いものが出た。
ただ、表向き皆普通に接してくれてはいたものの、私のような男の子は、神社にとっても決して歓迎すべきものでなかったのは、明白だった。
当然だ。百年前、過ぎた美貌が災いして鬼になったという稚児の話が、今なお語り継がれている村なのだから。
神社には同じ年頃の子どもがいなかったこともあって、私は生活上必要な会話以外、他人と口を利くことはほとんどなく育った。
烏丸と会えなくなったのは最初少し寂しかったが、もともと私は他人と交わることを、むしろ煩わしいと感じる性質だったから、薄情なようだがいつの間にか烏丸のことも思い出さなくなっていた。
新しい生活に慣れるのが精いっぱいで、寂しがっている暇などなかったせいもある。
けれど、味気はなかったが平穏な神社での暮らしは、私が年頃になるにつれ、徐々に崩れ始めた。
百年前の稚児に起きたのと同じことが、私の身にも起こり始めた。
つまり、村の娘たちが、私を放っておかなくなったのだ。
神社の使いで出歩いていれば、どこからともなく村の娘たちが現れて、こちらをじっと見つめてくる。私は眉一つ動かして見せなかったから、声をかけてくる猛者はほとんどいなかったけれど。
しかも集まってくる娘たちのその数は日ごと、月ごとに増えていく。しまいには、
「あいつが村に来ると、村の娘たちが仕事をしなくなる」
などという陰口が、神社にいる私の耳にも入るようになった。
娘たちも、百年前の稚児の話を知ってはいただろうが、現実の話とは受け止めなかったのだろうか。恋文もひっきりなしに届くようになった。
私は、たまの休みに実家に帰る時以外は、なるべく村に近寄らないように気を付け始めた。
恋文も、神社では受け取らず、全て実家に届けてもらい、そこで預かってもらった。
百年前の稚児と同じ轍を踏むまいという思いだけで動いていたわけではない。
私は、群がってくる娘たちに……年頃の少年なら抱くべきだろう興味を、全く抱けなかったのだ。それがどんなに美しく、心優しい娘であったとしても。
私はただただ、群がる娘たちを、自分の行く手を邪魔する、煩わしいものだとしか思わなかったのだ。
そして、残酷な運命は、一歩一歩、確実に近づいてきた。
「あれ、おまえもしかして……。 やっぱり! 久しぶりだな!」
春の大きな祭りを終え、久しぶりに暇をもらって実家に帰ろうとしていた私を、明るい声が呼び止めたのだった。ちょうど私は、神楽の伴奏の笛を上手く吹(ふ)けず、実家に帰った時に練習して来いと厳しく言い渡されたばかりで、練習用の笛を持たされて実家に向かうところだった。
声の主は烏丸だった。
村に使いに来るときは、群がってくる娘たちが煩わしくてなるべく人と目を合わせまいとしていたし、そもそも最近は村にもなるべく近づかないようにしていたから、烏丸と話をするのは本当に久しぶりだった。
ひょっとすると、神社に預けられた、七歳の時以来だったかもしれない。
私より二歳年長の烏丸は、もう大人の背丈に近くなり、衣の上からでも農作業で鍛えたたくましい体がうかがえた。相変わらず屈託のない笑みを浮かべ、離れていた歳月などなかったかのように私に声をかけてきたのだった。
実家に帰るのは嬉しかったが、いつも娘たちに待ち伏せされていたし、今回は特に、せっかくの休暇も苦手な笛の練習でつぶれそうだし、私の足取りは重かった。
しかし、烏丸の朗らかな声が、澱の中に沈んでいた私の心を、一気に光の中に引き上げたのだった。心がまるで羽でも生えたように軽くなるのが分かり、私はそんな自分に戸惑った。
思わず頬がゆるみ、笑みがこぼれた。
「烏丸……覚えていてくれたのか?」
私を遠巻きに眺めていた娘たちの間から、きゃあっと悲鳴が上がった。
「やっぱりおまえだったんだな。この村出身の、えらく綺麗な男が弥彦神社から来るって、若い娘(こ)たちが騒いでるもんだからさ。ひょっとしてって思ってたんだ。確かに綺麗になったなー」
その瞬間、頬の奥にほんのりと熱が点った。しかしそれは決して悪い気分ではなく、なぜか心の高鳴りを伴う、不思議な感情だった。初めての感情。これは一体、何なんだろう。
私は、どうしてももう少し、烏丸と一緒にいたくなった。
「悪いけど、烏丸ともう少し話したいから、またな」
遠くから見つめている娘たちに、そう言葉をかけることができたことに、私自身も驚いた。娘たちに声などかけようものなら、収拾がつかない事態になることを、私は何より恐れていたというのに。
しかし、娘たちは驚いたように互いに顔を見合わせ、烏丸と私を二、三度ちらちらと交互に見た後、申し合わせたようにその場を去っていった。
烏丸と二人きりになれた嬉しさに、私は、昔よく二人で過ごした田圃のあぜ道に、烏丸を誘った。
二人で並んで見上げる空は、昔と少しも変わらなかった。
私たちはずいぶん大きくなったというのに、少しも近くはならない。
烏丸にそう言うと、烏丸は昔と変わらない笑顔を見せた。
「やっぱ、おまえはおまえだな。すっかり綺麗になったけど、中身は少しも変わってないな」
その時、単なる懐かしさや友情などとは違った熱い衝動が、私の体の奥を駆け抜けた。
烏丸の日に焼けたまぶしい笑顔は、昔と少しも変わらないのに、他はすっかり変わってしまった。
均整の取れたたくましい体、首筋を飾るようにキラキラと光る汗のしずく。
いや、変わってしまったのは私なのか。以前はそのようなものを意識したことなどなかったのに。
胸が高鳴り、健康的な肌に視線が吸い寄せられる。触れたい、という強い思いが、胸の奥から突き上げてきた。私はその瞬間悟った。
私の中に起こったのは、間違いなく恋心だったのだ。
試し読みはここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
たまなぎ初のBL歴史ファンタジー(全年齢向け)、続きはこちらです!