はじめに
皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。今日も来て下さって、ありがとうございます!
今日は『大江山恋絵巻』番外編。
読者さまのリクエストにお応えして、大江山が武士たちの襲撃を受けた後の茜のお話を書こうと思います。
実は『大江山恋絵巻~人の巻~』を書いた時から、茜と茨木童子の距離や心情の変化を描きたかったのですが、『大江山恋絵巻~鬼の巻~』では、物語の都合上、割愛せざるを得ませんでした。
こういった事情で生まれたSS、どうぞお楽しみください!
『大江山恋絵巻~人の巻~』の主人公・茜視点の物語です。
(本編をお読みになっていない方にはネタバレ要素がありますので、どうぞご注意下さい)
最後の日
わたしが鬼になって、どれほどの月日が経っただろう。
茨木童子さまが病に倒れた。
鬼になって、いや、茨木童子さまに出会って、初めてのことだった。
わたしたち鬼は、もともと生命力が強い。
鬼になってわたしは、改めてそれを思い知った。都育ちのひ弱な姫だったわたしでさえ、風邪一つ引かなくなり、怪我をしても瞬く間に回復する。日中どれほど動き回っても、疲れるということもほとんどなかった。
それは、鬼としての生命力の強さに加え、酒呑童子さまが教えて下さった、鬼の岩屋の温泉のおかげでもあると、わたしは信じていた。
酒呑童子さまの残して下さったこの大江山を守ることが、酒呑童子さまがわたしたちに託して下さった使命だ。だからわたしは、鬼としての生命力だけに甘えることなく、定期的に鬼の岩屋で湯浴みをしては、健康を保つ努力をしていた。酒呑童子さまの遺志を受け継ぐために。
だから、茨木童子さまが病に倒れたと聞いた時、わたしは嫌な予感がしたのだった。まさか、茨木童子さまは……。
「茨木童子さま、お話があります」
わたしは茨木童子さまの居室を訪ね、その枕元に膝をついた。
茨木童子さまは横になったまま、目だけでこちらをじろりとにらんだ。
相変わらず迫力のある眼力だけれど、わたしは怖いよりもむしろ心配になった。弱っているところを見せるのが何より嫌いな茨木童子さま。いつもなら無理をしてでも起き上がってくるはずだ。それすらできないほど、弱っていらっしゃるのだろうか。
わたしは思い切って、疑問を口にした。茨木童子さまは黙って聞いていたが、わたしが口を閉じると、一呼吸おいて、わたしから目を逸らすことなく、静かに問い返してきた。
「もしそうだとしたら?」
全身がさあっと冷たくなった。まさか、悪い予感が当たってしまったのか。茨木童子さまは、鬼の岩屋に行くことを、自らの意志でやめてしまわれた……? 酒呑童子さまのところへ行こうとして……?
わたしはなりふり構わず、茨木童子さまの方にすがりついた。酒呑童子さまと浅茅を、そして多くの仲間たちを失った日の悪夢が、鮮やかによみがえる。
肉を断つ重い音、目の前で舞った酒呑童子さまの美しい顔。血の臭い。花びらのように散る火の粉、紅蓮の炎。鬼が城が焼け落ちる、絶望の音。
もうあんな思いは嫌だ……!
「お願いです、もう一度私たちと一緒に、鬼の岩屋に行って下さい! 茨木童子さままで失ったら、わたしたちは……!」
激情の命じるままにそこまでまくしたてて、わたしははっとした。
わたしは、大切なことを忘れていた。
茨木童子さまは、酒呑童子さまと、長い年月を共に生きてこられた。それも、単なる仲間ではなく、身も心も深い絆で結ばれた、恋人同士として。
酒呑童子さまを失った悲しみは、わたしたちなどとは比べ物にならないだろう。茨木童子さまにとって酒呑童子さまを失ったことは、自分自身の死よりも苦しいに違いなかった。片翼をもがれ、それでもなお休むことを許されず飛び続けなければならない鳥のように、想像もつかない苦痛に耐えながら、茨木童子さまは、わたしたちと共に鬼が城の再建のために必死で働いて下さっていたのだ。
茨木童子さまがそれに疲れ、酒呑童子さまのもとに行きたいという気持ちになられたとしても、わたしたちがそれを止めることなど、許されるはずがない。それは茨木童子さまが決めることだから。
黙り込んでしまった私を見て、茨木童子さまはほんの少し、その鋭い目の光を和らげた。
「安心せよ、そのようなことはしておらぬ。数日前も、岩屋に参ったばかりだ。じきによくなる」
茨木童子さまは、そう言って大きく息をついた。
「それより一人にしてくれ。眠りたいのだ」
私から目を逸らし、茨木童子さまは天井を仰いで目を閉じた。
その白い顔は、わたしが大江山に来た時と少しも変わらず、繊細に整って美しかったけれど、ひどく疲れているように見えた。
わたしは、分かりました、と返事をして、その場を離れようとし……それからふと思い立って、もう一度茨木童子さまの枕元に坐り直した。
「どうか、ゆっくりお休み下さい。茨木童子さまは、本当に今まで……頑張って来られたのですから……」
しばらく返事はなかった。眠ってしまわれたのだろうか。
「茜」
わたしが立ち上がろうとしたその時、茨木童子さまが、目を閉じたまま、わたしを呼び止めたのだった。
「鬼という者には、死があるのかと、昔、大江山の媼(おうな)に聞いたことがある」
「え?」
茨木童子さまは、目をつぶったまま続けた。
「殺されれば死ぬ。しかしそうでないものはどうなるのか、その答えは分からぬと、大江山に長く生きている媼さえ知らなかった。しかし……」
茨木童子さまは、辛そうに息をついた。
「永遠に大江山で生き続けている鬼はいなかったと。だから、鬼といえども、死ぬべき時が来たら死ぬのかもしれぬ、それは誰にも分からぬと……」
そこで茨木童子さまの声は途切れた。その声があまりにも苦し気だったので、わたしは慌てて茨木童子さまの顔を覗き込んだ。
「茨木童子さま? 苦しいのですか?」
しかし、返事はなかった。茨木童子さまは、どこか安心したように、安らかな寝息を立てていた。
そしてそれが、わたしと茨木童子さまがこの世で交わした、最後の会話となったのだった。
茨木童子さまを、いや、茨木童子さまの衣を着た、途方もない年を経た翁(おきな)の亡骸を、桜の木のそばで見つけたのは、その翌日のことだった。
頭に角はなく、その顔は人のそれのように老いさらばえていたけれど、中性的で繊細な美貌はそのままだった。
そしてその顔に浮かぶ、どこかあどけない微笑み。
それに、ひどく懐かしさを覚えて、わたしはそんな自分に戸惑った。
ああそうだ。しばらく考えて、わたしは思い出した。
この微笑みは、酒呑童子さまと一緒にいる時だけ、茨木童子さまが見せていた無防備な微笑み。
昔、渡辺綱に斬られた腕の手当てのために、酒吞童子さまに付き添われて鬼の岩屋に向かう時も、辛そうな中にもかすかに浮かべていた、安心しきったような表情。
その時わたしは悟った。
――酒呑童子さまが、茨木童子さまを迎えに来たのだ。
わたしは、これからどれほど生きるのだろう。
茨木童子さまのように、いつかわたしにも、この生を終える日が来るのだろうか。
その時わたしを迎えにきてくれるのは、いったい誰なのだろう。
酒呑童子さまか、茨木童子さまか。それとも、遠い昔に失った親友、浅茅か。
いや、誰でもいい。
わたしは命ある限り、この場所を守り続ける。
「茨木童子さま、長い間、ありがとうございました」
わたしは茨木童子さまの皺を刻んだ頬に、そっと手を添えた。
――茜。皆を頼む。
桜を散らせる風と共に、わたしの大切なあの方たちの懐かしい声が、耳元を吹き過ぎて行ったような気がした。
さいごに
SSのつもりでしたが、思ったより長くなってしまいましたね(汗)。
いかがでしたでしょうか?感想お待ちしております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!