はじめに
皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
今日は、ちょっと古代史から離れまして。
先月見学してきた、山口市瑠璃光寺のレポートです。
見学の最後にちょっとぞっとする、謎の体験も……!
それでは参りましょう。
瑠璃光寺の沿革
現在の瑠璃光寺の元になった香積寺は、室町時代、大内氏の25代大内義弘によって建てられました。
しかし、その後義弘は足利義満との戦いに敗れて戦死、その弟の第26代大内盛見が兄の菩提を弔うために五重塔の建立を開始しますが、その後盛見も大友氏との戦いに敗れ戦死。五重塔は十年以上たってから完成します。これが今の国宝・五重塔です。
現在、五重塔が「瑠璃光寺五重塔」となっているのは次のような理由です。
香積寺は、江戸時代に毛利輝元が萩に移った際に、萩に移転されます。そこで、香積寺の跡地に、陶氏が建立した仁保瑠璃光寺が移転されます。
それで現在は、五重塔は瑠璃光寺五重塔となったのです。
これは、屋外にある五重塔としては日本で10番目の古さだそうで、日本三大名塔のひとつに数えられることもあります。
瑠璃光寺と瑠璃子姫
瑠璃光寺、と聞いて、たまなぎの読者の方の中には、『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』の主人公瑠璃子姫を連想して下さった方もおられるかと思います。
これは単なる偶然ではありません。
瑠璃光寺の本尊は薬師如来。阿弥陀如来のおわす西方浄土に対し、薬師如来のおわす浄土は浄瑠璃浄土と呼ばれます。「瑠璃」宝石のラピスラズリのことですが、薬師如来に縁の深い言葉なのです。
一方、瑠璃子姫の名が残されている「武蔵寺縁起」によると、武蔵寺は薬師如来の化身の霊木で薬師如来像を彫って祀ったのが始まり、とされています。薬師如来の加護で生まれた姫が瑠璃子姫。薬師如来にあやかってつけられた名が「瑠璃子姫」なのです。
境内の様子
京風文化に傾倒した大内氏。
境内の和風庭園も美しいです。
ちょうど梅の花が咲いていました。
国宝・五重塔は残念ながら改修中(涙)。
しかし、ミニチュアは拝むことができました。
慈母観音と、可愛いわらべ地蔵。
閻魔大王の像が! と思ったら、下に石の車輪のようなものがついています。これは「後生車」と言い、これを回しながら罪を告白して懺悔し、閻魔大王に祈ると、極楽浄土に生まれ変わることができるそうです。
見学の最後に戦慄の……
本尊にお参りを終えると、奥に「金毘羅神社」への案内が。
金毘羅様は、薬師如来の眷属である十二神将の一人、宮毘羅大将。元々はインドの鰐が神格化されたもの。
仏教に取り入れられていますが、単独で神として祀った神社もあります。
瑠璃光寺の金毘羅神社は、寺の境内の中に神社がある、いわゆる「境内社」というものです(これに対して、神社の敷地内に寺が置かれているものを「神宮寺」と呼びます)。
こちら、かなり石段の上の方にあり、しかも近くにはお墓が。
眺めは良く、寺ですからお墓が近くにあるのは、別に不思議なことではありません。
ところが……!
金毘羅神社のさらに奥に、山の奥へと誘うように、細い道が伸びているのです。道に沿ってずらりと並ぶ地蔵菩薩。
思わず先が気になり、ふらふらと歩み出すと……
行っても、行っても、行っても続く。
綺麗に並んだお地蔵様。
みんなそろいの真赤な帽子。
何やら薄気味悪くなってきたところでお地蔵様の列は終わり、道も途絶えました。その数はおおよそ60体ほど。
やれやれ、もどろうかと振り返ったところで……
最後の地蔵は首なし地蔵。
………
………
首は二メートルほど離れたところに転がっていました。
そしてよくよく見るとその隣は……
まるで結合双生児のように、一つの体に二つの首のお地蔵様。
半ば目をつぶり、無邪気に微笑みを浮かべたまま……!
うわあああああん!
たまなぎが泣きながら逃げ帰ったのは言うまでもありません。
なんで写真がないのかって?
撮れるわけないじゃないですか、恐ろしくて。同じ状況で首なし地蔵と首二つ地蔵の写真を撮れる猛者がいたら顔を見てみたいです。
嘘と思った方は、ぜひ山口市の瑠璃光寺を訪れて見て下さい。あまり人が入りそうな場所ではないので、多分そのままにされていることでしょう。
首なし地蔵は、冷静に考えるといたずらかなとも思います。
廃仏毀釈の跡?とも一瞬考えましたが、ここはそもそも「寺」です。神社内の神宮寺が破壊されたというのは多いですが、寺の中のお地蔵様が破壊されるというのは???です。しかも一体だけでしたし。
それに、首二つ地蔵の説明はつきません。
脱線しますが、明治時代の神仏分離令にともなう破壊って、神社内の仏像や神宮寺が破壊された例は多数聞きますが、逆は聞かないですよね。寺の中の式内社が破壊されたというのは。廃仏毀釈については今勉強中なので、また何か分かったらお知らせします。
幸い、何か悪いものを拾ったような様子はなく、現在まで無事に過ごしております。
何だったのでしょうね、あれは。
分かった方おられたら教えて下さいね。
さいごに
見学を終えて、近くのレストランで高森和牛の牛丼を頂きました。山口県の希少和牛だそう。美味しかったです!
最後までお読み頂き、ありがとうございました!