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「異人殺し」とは何なのか?~『異人殺しのフォークロア』より

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、前回・前々回の記事にはたくさんのアクセスを頂きありがとうございます。

今回は「異人殺し」の続きです。

閉鎖された村社会を訪問した異人が、何らかの原因で殺されるという、日本各地で語り継がれる民話の類型。

それにはどのような意味があるのでしょうか? また、「異人殺し」とは実際に行われていたのでしょうか?

小松和彦先生の『異人殺しのフォークロア』からご紹介します。

 

1.「家の盛衰とその民俗的説明」

『異人殺しのフォークロア』の中で、小松和彦先生は、「『異人殺し』は特定の家の盛衰の民俗的説明として用いられている」と述べています。

異人殺しは、前回も述べたように、「異人の殺害→所持金の略奪→家の隆盛→祟りによる不幸」という経過を取るお話が典型的です。

この「異人殺し」という物語は、「何のために」作り出されたのか。それは、民俗社会において、ある説明できない「異常」が起こり、人々はその原因として「異人殺し」に説明を求めたのではないか、と小松先生は言われています。

ではその異常とは何でしょうか。

それは、村内に急速に金持ちになった家があったり、金持ちの家が急速に没落したり、あるいは瞬く間に金持ちになり、数世代も経つと没落した家があるという事実、そしてそれが本当なのか私には確かめようがないのだが、多くの場合、そうした家の子孫に身体的もしくは精神的障害を持ったものが続出したという事実である。こうした事実に対して村人たちは、なぜそうなったかの合理的な説明をそれに与えることができなかったのである。

引用元:小松和彦『異人殺しのフォークロア』,赤字筆者

つまり、急速に金持ちになり、しかもその後異常が続く家を見た時、村の人々は「あの家は罪もない異人を殺し、その祟りに呪われているんだ!」とす説明することで、自分たちの疑問を解決し、嫉妬の念を癒し、さらにその家を差別・忌避することもできるようになるというメカニズムなのです。

なんとも嫌な話ですが、こういった心理は、組織の中では、現代でもおこりうることではないでしょうか。

他にも家の盛衰や急速な没落があり、それを人々が「異常なこと」ととらえた時に民俗的に与えられた説明として、「座敷わらし」や「犬神憑き」などが挙げられています。

「座敷わらし」は忌避されることはありませんが、「犬神憑き」とされた血筋は、恐怖と忌避の対象にされた例は、特定の地域で多く見られています。

 

2.「異人殺し」は実際に行われていたか

では、「異人殺し」は単に家の盛衰を説明するために作り出されたエピソードで、実際にそのような行為は行われなかったとすることが妥当なのでしょうか。

これについて小松先生はこのように述べておられます。

しかし、だからといって、「異人殺し」は実際にはまったく行われていなかったということを意味するものではない。いや、むしろ全国各地で、その多くは人知れずに行われていたにちがいない。そして殺人者たちは秘かに異人の怨霊におびえていたことであろう。民俗社会の人びとは、異人殺しが行われていることを知っていた。少なくともそういうことが行われても不思議ではないという意識を共有していた。だからこそ、村に生じた「異常」の原因として、人びとの記憶にないような「異人殺し」が選び出されても、「なるほど」と受けいれることができたのである。

引用元:小松和彦『異人殺しのフォークロア』(太字筆者)

つまり、「異人殺し」は民俗社会において行われていた、あるいは行われていても仕方名のないことだという共通認識があったからこそ、異常の原因として「異人殺し」があったとされた。

それはつまり「異人殺し」が実際に行われていたと考えるのが妥当だ、ということになるのでしょう。

 

3.「異人殺しのフォークロア」

では、「異人殺し」というフォークロア(民間伝承)の存在意義とは結局何なのか。

それはひと言でいえば、民俗社会内部の矛盾の辻褄合わせのために語り出されるものであって、「異人」に対する潜在的な民俗社会の人びとの恐怖心と”排除”の思想によって支えられているフォークロアである。

引用元:小松和彦『異人殺しのフォークロア』

「異人」は閉ざされた社会から見て、「他者」であり、恐怖と差別の対象でした。

その一方、「異人殺し」を行ったとされる家は、「異人殺し」を行ったとされることによって恐怖と差別の対象になるのです。

小松先生は「民俗社会の内部の特定の家を”殺害”するために、その外部の存在たる『異人』が”殺害”されたのだといえるのではないだろうか」とさえ述べておられます。

つまり、村社会の中での差別・排除を正当化するため、「あの家は(外部の存在である)『異人』を殺した」という理由付けがなされたということ。内部の差別を受ける家と、外部の異人とに対する、二重の排除の論理がここには働いているのです。

もっとも、「異人殺し」には様々なパターンがあり、たとえば村人の総意に基づく「人柱」を求めての「異人殺し」では性格が異なり、殺された霊に対する対応の仕方も当然異なってくる、と小松先生も言われています。

前回の記事でご紹介したお話が、もし「異人殺し」の変形版だとすると、村人の総意に基づく「異人殺し」に近いものになると思うのですが、実際のところはどうでしょうか。

次回の記事で検証したいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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