サブカル チェリまほ

『ゾンビになるまでにしたい100のこと』が生まれた背景(ゾンビ映画の歴史②)

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さてさて今日は前回の続き、ゾンビ映画について。

前回の記事はこちらです。

 

もともと、ハイチの伝承では、ゾンビは人を襲ったり食べたりするものではありませんでした。

ゾンビとしてよみがえった人が、ゾンビを操る人間によって自分の意志を奪われ、操られる恐怖を描いたのが最初のゾンビ映画だったのです。

では、人を襲い、襲われた人もゾンビ化させてしまうという、現在のようなゾンビの形ができたのはいつのことなのでしょう?

 

①モダン・ゾンビの始まり『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』

ゾンビ映画をホラーの1分野として確立させたのは、アメリカの映画監督、ジョージ・A・ロメロ(1940年2月4日 - 2017年7月16日)。

彼が1968年に発表した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はカルト的な人気を得ます。

この作品で彼は、ゾンビをブードゥー教のゾンビとは異なる、人外の新たなモンスターとして登場させます。

「死者が蘇って生者の肉を喰らう」「ゾンビに噛まれた者も、またゾンビになる」「脳を破壊されるまで活動を停止しない」という“モダン・ゾンビ”は、この時初めて定義されます。

「人を襲う(不条理)」「食われた人もゾンビに(おぞましさ)」「頭を破壊されないと死なない(追い詰められる緊張感)」という3原則はホラー映画をより盛り上げる効果を持ち、以降のホラー映画に大きな影響を与えます。

この作品は1978年にイタリアンホラーの監督・ダリオ・アルジェントに見出され、1978年『ゾンビ』(原題:Dawn of the Dead)として完成されます。代表作となったこの映画は150万ドルという低予算ながら、世界中で大ヒット。その後、ロメロは単なるホラー映画監督の殻からの脱皮を図るべく他ジャンルの作品に意欲を示し、社会派ドラマやラブ・ストーリーなども監督しています。

以後、ゾンビ物はホラーの1ジャンルとして隆盛を誇ります。

そんな中、ゾンビを退治する人間の残虐性を強く描写するものも現れます。

当時はゾンビもの以外のホラー映画も盛んに作られるような時代だったため、いわゆる「スプラッターもの」というジャンルが確立します。

ゾンビ化した人間を、生きている人間が残虐な方法で殺す描写が問題になり、やがて次のような珍妙な裁判が起こることになります。

 

②ゾンビは人間か?を争った裁判

1992年、映画「死霊のはらわた」に対し、地方裁判所がその暴力描写を問題視してビデオの回収命令を出します。当時のドイツ刑法には「人間に対する残虐なあるいは非人道的な暴力行為、人間の尊厳を侵害するような描写は最長1年の懲役または罰金に処する」という条項がありました。

これに対してビデオ会社は、「人間に適用する法律をゾンビに適用するのは拡大解釈である」「回収命令は違憲だ」と反論、連邦裁判所に提訴します。

この結果「ゾンビは人間か?」ということがドイツ連邦裁判所で争われるという、世にも奇妙な事態が発生。

判決結果は「ゾンビは人間ではない」、つまりビデオ会社の勝訴でした。

けれどその後、ドイツ刑法が「人間に対する暴力行為」「人間または人間に類似した存在に対する暴力行為」に改正されます。刑法を変えてしまうゾンビ映画……ある意味すごいですね。

 

③1990年代以降のゾンビ映画
1990年代以降、ゾンビ映画は模倣品が氾濫し、一時的に飽きられ衰退します。
けれど、1996年、日本のゲームを原作にした、『バイオハザード』がヒット。

2000年代から再びゾンビ映画が注目され、新しい作品が作られるようになります。
2010年に始まった、アメリカのテレビドラマ『ウォーキングデッド』は、ゾンビそのものの恐怖よりも、ゾンビをめぐる人間ドラマに焦点を当てたものになっています。

大切な人がゾンビになったときに倒せるか? ゾンビ化した人間への愛情は恐怖に勝てるのか? など、深い問題を突き付ける作りになっています。

 

その後、2010年以降には、それまでのゾンビの原則をあえて破ることによるゾンビ作品が次々と作られます。2018年に作られたアニメ『ソンビランドサガ』は、なんとゾンビ化した少女がアイドルになって佐賀を救うという突拍子もないストーリー。

 

チェリまほ赤楚さん主演の『ゾンビになるまでにしたい100のこと』もそういった新しいゾンビ作品群の中から生まれた作品のようです。

楽しみですね!このためだけにNetflix入ろうかな……

最後まで読んで下さって、ありがとうございます!

 

 

 

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