オリジナル小説 『大江山恋絵巻』

酒吞童子以前の大江山の鬼たち②

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

 

7月(多分)発売のたまなぎの新作『大江山恋絵巻~人の巻~』の最終準備が大詰めのため、ちょっと、いやだいぶ? ブログの更新が遅れがちなたまなぎでございます。

 

7月発売の新刊についての記事はこちら↓

さてさて、本日も新作にちなんでのお話が続きます。今回も新作のネタバレというほどのネタバレはありませんので、安心してお読み下さい。

 

聖徳太子の時代の鬼

さて、前回の記事から、大江山に酒呑童子以前から住んでいた鬼たちについてお話しております。

前回は、崇神天皇の時代、四道将軍に追悼され、大江山に逃げ込んだという陸耳御笠についてご紹介しました。

陸耳御笠についての記事はこちら↓

陸耳御笠から酒呑童子に至るまで、鬼の系譜は脈々と受け継がれていたと考えられますが、酒呑童子以前、鬼の記録がはっきり残っている時代がもう一つあります。

それは、聖徳太子の時代。酒呑童子の時代から、四百年近くも昔のお話です。

 

飛鳥時代の鬼退治伝説

飛鳥時代、三上が獄(みうえがたけ・大江山のこと)に三匹の鬼が棲んでおり、それを退治したのは麻呂子親王といわれています。用明天皇の第3皇子で、かの聖徳太子の異母弟にあたる人物です。『古事記』では当麻王(たぎまのみこ)、『日本書紀』では麻呂子皇子(まろこのみこ)となっており、征新羅代将軍に任ぜられて難波から出発しましたが、明石で妻が死去したため、出征をとりやめたとあります。

麻呂子親王の鬼退治の伝説は正史にはなく、いずれも寺社縁起に記されています。最も古いとされているのは、室町時代に成立したと言われる『清園寺縁起絵巻』です。これには文章はなく、江戸期に内容を読み解いたと思われる『略縁起』という文章が付け加えられ、現代に伝わっています。

 

鬼退治伝説のあらまし

鬼退治伝説のあらましは文書によって細部は異なりますが、おおむね次のようなものです。

三上ヶ獄に英胡(えいこ)、軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)という名の三匹の鬼が棲んでいて、庶民を苦しめていた。そのため天皇は麻呂子親王に追悼の命を下した。

麻呂子親王は追討軍を組織し丹後に向かったが、途中、馬堀で死んだ馬を掘り起こし、生き返らせると俊足の馬(龍馬)となった。さらに途中で老人と、鏡を額に着けた白犬がやってきて麻呂子親王に従った。麻呂子親王はこれを仏の加護と喜んだ。

雲原の仏谷で、親王自ら七体の薬師如来をウツギの鞭から彫り、「鬼退治が無事成就した暁には七つの寺を建立します」と約束して勝利を祈願した。

やがて、三匹の鬼との決戦が始まり、英胡と軽足は退治された。土熊は妖術で姿をくらますが、麻呂子親王は白犬の鏡でその行方を突き止め、岩窟に閉じ込めた。

赤字については後で出てきますのでよく覚えておいてくださいね。

 

麻呂子親王は詐欺師?

「庶民を苦しめていた」これは鬼退治伝説にはかならず枕詞のようについているのですが、具体的な内容については記述が乏しいものがほとんどです。おそらく、朝廷にまつろわぬ者を従わせたり、彼らの金属資源を簒奪したりするために作られた後付けの理由でしょう。

しかも、いくつかのバリエーションの中で、最も古いとされる『清園寺略縁起』には、こんなむかつく後日談が付け加えられているのです。

捕らえられた土熊が、生き残った鬼たち命乞いをしたため、麻呂子親王は七つの寺を一夜で作るならば命は助けよう」と約束した。土熊は喜んで、一夜で七つの土地を開墾したので、麻呂子親王は土熊をはじめ、生き残った鬼たちを丹後半島の先端にある立岩に封じた。

ここでさっきの赤字を思い出してください。

「鬼退治が無事成就した暁には七つの寺を建立します」

って言ったのは、麻呂子親王ですよね?

 いやいや、詐欺でしょ。これについては鬼研究・鬼文学の大御所・加門七海先生が全鬼好きの代わりに吠えて下さっています。

あのなあ、神仏に祈請したのは親王でしょ? あんたが自分で寺を建てるって言ったから、神仏の加護とやらがいただけたんでしょ? なのに槌熊たちに場所を探させて開墾させるって、契約違反っていうヤツじゃないの? 社寺は上物以上に場所の選定が大切だって言うのは、私だって知っているわよ。それを鬼にやらせて、しかも用事が済んだら彼らを封じた? 封じただけ殺してないから、命は助けたとか言うわけだ。よっくもまあ、そんな非道なことを。そいうのを詭弁っていうんだ、覚えとけ!!

(引用元;加門七海『加門七海の鬼神伝説』2020年、朝日新聞出版)

な、七海先生落ち着いてっ! なんて言ってられません。たまなぎだって口から火を吹きそうなくらい腹が立ちましたもの(そんな慣用句は多分ない)。

 

しかしこの小汚いやり方、まるでどっかの政治家みたい。どことは言いませんが。

いやいや権力者のやることというのは、時代を超えてもあまり変わりないのかもしれません。

 

さて、この伝説が伝わっている寺社縁起というのは、いずれもこの時に土熊たちが(あえて麻呂子親王とは言わない!)建てた寺に伝わっているものなのです。

寺によっては、麻呂子親王が鬼退治が成った暁、「仏徳に報いるために自身で寺を建てた」としているものもあります。全くひどい。それは手柄の横取りってやつじゃないでしょうか。

『清園寺略縁起』が麻呂子親王の詐欺行為を伝えてくれていたのは、鬼たちに同情した人たちが語り伝えてくれていたのか、それとも支配者側にわずかに残った良心だったのでしょうか。

 

さいごに

今回はこの鬼たちそれぞれの正体についても考察しようと思っていたのですが、長くなりましたので次回に譲ります。最後までお読み下さって、ありがとうございました!

(参考文献:加門七海『加門七海の鬼神伝説』2020、朝日新聞出版,八木透監修『日本の鬼図鑑』2021、青幻舎)

 

 

 

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