目次
はじめに
皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、先日、以前から気になっていた、福岡市西区の吉武高木遺跡に行って参りました!
実は大野城こころのふるさと館でこの展示を見た時から、ずっと気になっていたんです。
鏡・玉・剣。
この組み合わせといえば、「3種の神器」ですね。
それが弥生時代の王墓から出た…さらっと書いてありますが、これはものすごいことなのです!
吉武高木遺跡の王墓は、卑弥呼の時代を500年もさかのぼる!
弥生時代、というと何となく「稲作が始まった時代かな~」という感覚を持たれる方も多いと思います。
たまなぎが小学生の頃は、紀元を挟んで3世紀ずつ、紀元前3世紀から紀元3世紀頃までと習った記憶があります。
しかし、現在は、炭素同位体による測定法により、弥生時代の始まりはなんと紀元前1000年頃までさかのぼることが明らかいになっているそうです。
そして、中でも、弥生時代中期といえば、Wikipediaによれば紀元前400年頃から紀元50年ごろだそうです。しかもこの王墓は「弥生時代中期初期」とされており、およそ2200年前のもの=紀元前2世紀ころのものとされています。
卑弥呼の時代よりも、さらに5世紀もさかのぼる、とんでもなく古い王墓だったのです。
弥生時代の福岡地方
福岡市付近の弥生時代の大規模な遺跡と言えば、今の糸島付近の伊都国の平原王墓、それから奴国とされている須玖岡本遺跡が有名ですね。
どちらも弥生時代中期後半になると、王墓に「鏡・装身具・武器」のセットを副葬品として埋葬する、というのがデフォルトになります。
ところが、この3点セットが墓に埋葬されている、というパターンは、この吉武高木遺跡が最古のもので、以後の王墓の見本になったと考えられているのです。
吉武高木遺跡が、「最古の王墓」と言われるゆえんです。
今は「やよいの風公園」として整備された吉武高木遺跡
「やよいの風公園」=吉武高木遺跡
現在は、「やよいの風公園」として整備された吉武高木遺跡。
実は、吉武遺跡群は福岡市の早良平野の約40万㎢に渡り遺跡が点在しており、そのうちの高木地区・大石地区・樋渡地区から王墓が見つかっています。
高木地区は、今は「やよいの風公園」として整備されており、見どころがわかりやすく説明されています。
甕棺ロード
公園の中央にあるのが甕棺ロード。
こちらでは、青銅の武器を副葬品とした、沢山の甕棺墓が見つかっています。こんなふうに埋葬されていたようです。
発掘された甕棺の方向や時代・大きさ・副葬品の有無などが、出土した場所にこんなふうに記録されています。
こちらは、弥生時代の景観を復元した、やよいの川。
「特定集団墓」最古の王墓
鏡・玉・剣の三点セットを副葬品とした、最古の王墓が出土したのがここ、特定集団墓です。
この中の3号木棺墓から銅剣・勾玉・鏡の3点セットが出土しています。
公園のはしっこにあたるこの場所は、残念なことに道路に分断されてしまっています。
発掘当時の様子。
鹿の絵が描かれた甕棺も。甕棺に絵が描かれているものは、初めて見ました。
大型建物
また、この遺跡からは、紀元前後の大型建物跡も見つかっています。
床面積は120㎡以上と非常に大きなもの。
公園内の高台からは大型建物が復元されたように見えます。
ちょっとアナログなVRですね。
高台から公園を見下ろすとこんな感じ。近くに山が見えて、とてものどかな風景です。ワンちゃんのお散歩場所やおチビさんたちの遊び場として近くの人たちに親しまれているようです。
最後に
鏡・玉・剣の三点セットは、三種の神器としても有名ですが、景行天皇が九州に巡幸した際に、現地の豪族がこのセットを掲げて迎えた、という記事も書紀にあります。
天皇家のルーツが九州にあることを考えると、この三点セットの最古のものが九州にあるのも不思議ではないのかもしれません。
三種の神器の原型が福岡市にあったとは驚きでした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!