はじめに
皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、今日は『神眠る地をオニはゆく』の舞台編その③。
基山です。作品のネタバレはありませんが、作品を読んで下さった方には、物語をより楽しんで頂ける内容となっています。それでは。
1.基山の概要
ここは福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる、標高404mの山です。
比較的低山で登りやすく、地元の高齢者の方も多く見かけます。
そして、基山といえば、 基肄城跡。天智天皇が白村江の戦いの後、大陸からの侵攻に備えて作らせた山城です。国の特別史跡にも指定されています。
2.大宰府方面からの玄関口・北帝門
現在は基山に登るには、水門跡から登るコースが一般的です。山頂までの所要時間はゆっくり歩いて約1時間。ちょうどいい運動コースです。
水門は、排水溝として設けられたもので、すぐそばには海の神=住吉大神が祀られています。
数台ですが駐車場もあり、新しくてとても綺麗なトイレと自動販売機もあります。
しかし、山城が使われていた当時、大宰府方面からの正面玄関はこちらではありませんでした。正面玄関と考えられているのはこちら、北帝門(きたみかどもん)です。
ここは未調査・未復元ですが、1300年前の門の跡が、こんなにしっかり残っており、かなり立派な門だったと考えられているようです。
ここは、通常の史跡見学コースから外れており、あえて探していかないとなかなか見つけられません。近くにある石柱が目印です。↓
北帝門のある道を、やや低い所から見上げたところ。中央の低くなっているところが道。両側に盛り上がっているのは自然のものではなく、土塁です。
この道は、天拝山に通じているとの標識があります。つまり、当時大宰府方面から来る人たちは、天拝山からの縦走コースをたどって北帝門にたどりついたと考えられます(整備された現在の縦走コースとは別です)。
天拝山までは行けませんでしたが、いつかこのコース、歩いてみたいです。
天拝山~北帝門に至る道は、地図で見るとかなり等高線が密になり、急な坂であることが分かります。(物語にもこの設定は使われていましたが、分かった方はおられるでしょうか?)。
3.基肄城の礎石群
この山城は、山頂とその東の峰を土塁と石塁で囲み、内側に40棟もの建物が配置されていたと考えられています。
こちらは、メインの建物が建っていたと考えられる、山頂近くの大礎石群。
可愛い生き物(?)がいる、丸尾礎石群。
4.『神眠る地をオニはゆく』、あの場面の舞台へ
そして、『神眠る地をオニはゆく』を読んで下さった方は、「あの場面か……!」ときっと思って下さるであろう、基山山頂。
ここに象徴のように鎮座しているのが、タマタマ石。もともとこの山に神を祀っていた時、神を迎える磐座(いわくら)だったと言われています。
この石、実は作品の中に登場していたのですが、分かった方おられますか?
ここに祀られていた神は、後に天拝山の荒穂神社に下ろされたと伝えられています。
しかし、筑紫神社にも、基山の神を下ろして祀り直したというお話が伝わっており、両者は同一神とも言われています。
どちらにせよ、ここがかつて神の磐座であり、後に神が山から降ろされたことには間違いはありません。
基山の山頂は非常に見晴らしがよく、天気がよければ博多湾まで望めます。
もし大陸から敵がやってきたら、すぐに発見することができたでしょうね。
そして空がとても近く感じられます。物語を読んで下さった方は、ぜひ写真とあの場面を重ね合わせてみてください。
山頂近くの駐車場までは、かなりの急坂で、現在は草スキー場になっています(道は別にありますが、最初に来た時は分からず、むりやりここをよじ登りました←バカ)
基山に登った時のレポートは、こちらにも詳しく書かれていますので、ご興味のある方はぜひどうぞ! 4番目の記事には、北帝門への詳しい行き方も書いています。
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