皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、一度休止を挟みましたが、今回は「鹿児島の月読神社と謎の神・月読命」の3回目。
前回の記事では、作家の戸矢学先生の「月読は天武帝によって創作された神」説をご紹介しました。月読については「記紀」の記述が非常に少ないので、様々な説があります。
今回は「記紀」を少し離れて、鹿児島と「月の神」との関係について考察したいと思います。
1.鹿児島の隼人
皆さんは、「隼人」をご存じでしょうか。
古代において鹿児島に居住していた、大和朝廷側から見れば異民族です。
しばしば大和朝廷へ反乱を起こし、それは8世紀まで続きました。
日本神話の「海幸山幸」は、騎馬民族である山幸彦が、在地の海の民=隼人=海幸彦を屈服させる物語ともいわれています。
屈服させられた海幸は、「今より以後、吾は汝が俳優(わざおさ)の民となさん」と言ったといいます。隼人の民たちは大和朝廷に屈服させられた後、隼人舞の奉納などで朝廷に仕えました。
2.隼人と月信仰
この隼人が月神を信仰していたのではないか、という説があるそうです。
鹿児島には「十五夜綱引き」など、独特の月にまつわる習俗が残っており、20世紀初めの民俗学者・小野重朗は、隼人に月神を祀る信仰があるという説を唱えています。
こちらのサイトに非常に詳しく書かれています。
隼人たちの月神信仰/2つの月読神社 (biglobe.ne.jp)
また、隼人たちが古代に移住したとされる京田辺市の月読神社には、「隼人舞発祥の地」という石碑が建っています。
隼人舞は、前項でも述べたように、朝廷の大嘗祭など大切な行事の時に隼人たちが舞ったとされる舞。芸能によって山幸彦に仕えると約束した海幸彦の子孫が隼人だからと言われています。
この隼人舞は、朝廷の行事だけではなく、月読神社にも奉納されていたと、月読神社には伝承されています。
これは推測にすぎませんが、隼人たちは自分たちの月神信仰を、月読神社に重ね合わせていたのかもしれません。
3.異民族の信仰を取り入れる
屈服させた異民族の神を自らの神話に取り入れることで異民族を懐柔する、というのは古代ギリシア・ローマ時代から、キリスト教の文化混淆主義まで、幅広く行われていました。
日本史学者の溝口睦子氏は、その著作「アマテラスの誕生」の中で、このような説を述べています。
①天照大御神が日本の最高神とされたのは天武朝以降。
②それまで天皇家の最高神は高御産巣日神(タカヒムスビノカミ)だった。
③天武天皇は人心を掌握するために、広く民間で信仰されていた太陽神=アマテル神を皇室の神話に取り入れた。
(参考文献;溝口睦子『アマテラスの誕生――古代王権の源流を探る』2009年,岩波新書)
ここから先は私の想像です。
月読命も同じように、屈服させた異民族――隼人のような――の月神信仰を、皇室の神話に取り入れたものとは考えられないでしょうか。
そもそも、日本の支配階級では、月はどちらかというと忌むべきものとされていました。
『竹取物語』にも、月を眺めて泣くかぐや姫を、翁が「月の顔を眺めるのは不吉だからやめなさい」とたしなめるシーンがあります。
ではそんな「忌むべき月」をモチーフに、なぜ『竹取物語』が書かれたのか。
以前の記事で書いたように、隼人の子孫が『竹取物語』の作者と考えればぴったり来ます。月神信仰を持ち、なお月が忌むべきものだと言われているのを知っているからこそ、このような物語が生まれたのかもしれません。
月が支配階級の中で「忌むべきもの」とされていたことを考えると、月読命の記述が記紀の中で極端に少なく、月読命を祀る神社が少ないのもうなずけます。
月読については『記紀』の記述が極端に少ないこともあり、色々な学者や作家が、様々な説を唱えており、面白いです。
隼人と『竹取物語』についての記事はこちら↓
また、古代の隼人は、歴史ライターで作家の帯刀コロクさんの小説『吠声』に非常に生き生きと描かれています。こちらもとても面白いのでお勧めです。
吠 声(はいせい)―隼人彷徨― | 帯刀古禄, 岡本亮聖, 東野千宏 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
最後までお読みいただき、ありがとうございました!