『遠の朝廷にオニが舞う』 作品解説&エピソード

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㊵諏訪神社に伝わる鈴その2~失われた古代製鉄~(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

本日は前回に引き続き、諏訪大社に伝わる伝説を元に、古代の製鉄方法の謎に迫ります。

 

前回の記事で、出雲系の健御名方命が藤枝をもって諏訪の氏族・守矢氏を従えたとされる伝説を紹介しました。

この伝説について、皇学館大学の教授で祭祀学の研究家の真弓常忠氏は、著書『古代の鉄と神々』の中で、この藤の枝は砂鉄による製鉄方法・鉄穴(かんな)流しの中で使われる、藤蔓で編んだザルのことだと考察されています。

 

砂鉄を用いた製鉄は、畿内や山陰・山陽地方では、東日本よりも早くに始まっていました。

鉄穴流しとは、砂と砂鉄をより分けるための製鉄の過程の一つです。

流れの急な川に砂鉄の混じった土を流し入れると、土は軽いので遠くに運ばれ、砂鉄は重いので沈みます。沈んだ砂鉄をザルで掬うのに、藤で編まれたざるが使われたと伝えられています。

 

つまり、出雲系の健御名方命は、砂鉄による製鉄を行う製鉄民族だったのです。

 

一方、諏訪地方の守矢氏が行っていた製鉄方法とは何でしょうか?

 

以前は、日本の製鉄は、五世紀以降に始まった、砂鉄を用いたものが最古であると考えられていました。

 

けれど、近年になって、実は弥生時代から、別の製鉄方法が行われていたのではないか、とされる研究結果がいくつも発表されるようになりました。

 

それは、「湖沼鉄」と言われるものです。

 

日本は火山国で、土壌には鉄分が豊富に含まれています。

また、水の豊かな土地でもあるので、火山近くの湖沼には、鉄分が多く含まれます。

 

湖沼の水に溶けた鉄分は、時間の経過と共に沈殿します。これは科学的には鉄鉱石と同じ酸化鉄で、これを還元することによって純粋な鉄を得るのです。

 

湖沼鉄が化石化したものが褐鉄鉱で、これは古くから赤い染料として使われていた「ベンガラ」と同成分です。

 

実は湖沼鉄を用いて製鉄が行われていたという証拠は、諏訪地方だけでなく九州でも見つかっています。

火山地帯である九州・阿蘇地方の弥生時代の集落から、多数の鉄器が見つかっており、製鉄を行った証拠である鉄滓も見られることから、阿蘇でも湖沼鉄を使った製鉄が、弥生時代にすでに行われていた可能性が指摘されています。

弥生時代の技術で、湖沼鉄を使った製鉄が可能かどうかについては2006~2010年に広島大学で実証実験も行われており、可能と判定されています。

 

また、同じく温泉地帯である別府に、「鉄輪(かんなわ)」という地名があるのをご存じですか?

この地名の由来には諸説あり、定説はないそうですが、私は温泉地帯である別府でも、古代に湖沼鉄を使った製鉄が行われていた事実を伝えている可能性も大いにあると思います。

 

ここで、前回の記事を思い出していただけますか?

諏訪神社に伝えられた鉄鐸は、神事において「湛」で振られていました。

つまり、水の豊富な場所=湖沼鉄を得られる場所が、製鉄にとって大事な場所として神聖視されていたことを示しているのです。

 

守矢氏の行っていた製鉄方法は、湖沼鉄を使った製鉄であると考えらえるのです。

 

諏訪地方で行われていた製鉄方法が、湖沼鉄を使った製鉄であることは、実は信濃の枕詞にも秘められています。

 

また、それが鈴とどう結びつくのか?それについてはまた次回にお話ししたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

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