皆さんこんにちは、珠下なぎです。
鬼滅の刃の聖地として有名になった太宰府市宝満山の竈門神社。
先日から竈門神社と鬼との関わり、「遠の朝廷(みかど)にオニが舞う」の世界との接点についてお話してきました。
竈門神社の創建は天武2年、ちょうど作品と同時期にあたりますが、実はその後の時代においても、宝満山は別の意味で鬼との関わりを持っているのです。
11世紀以降、宝満山は修験者の山として、信仰の対象となったことは、前回のブログでお話しました。
修験道は、飛鳥時代に役小角(えんのおづぬ)が始めたと言われる、神仏混交の宗教です。
山に籠って厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とし、平安時代以降、全国に広まっていきます(役小角については後述します)。
修験者は各地の高峰に修行の場を求めましたが、その多くで鉱物の採掘を行っていたことが分かっています。(参考:後山・修験道と東粟倉文化/美作市ホームページ (mimasaka.lg.jp))
鉄の精錬はもちろん、昔は丹と呼ばれて珍重された水銀の採掘もおこなっていたようです。
ここまで私のブログを読んで下さった方には言うまでもないと思いますが、鬼のルーツの一つは、製鉄の能力を持つ産鉄民。
産鉄の技術をもつ修験者が宝満山を修行の場としていた。
宝満山という呼称は、平安時代以降のもののようですが、その語源は、「宝の満つる山」。そしてその宝とは、修験者が採掘していた鉱物であると考えられるのです。
竈門神社の位置する宝満山は、こんなところでも鬼との関わりを持っていたのです。
最後まで読んで下さって、ありがとうございます!