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たまなぎブログ by LTA出版事業部

劇場版『ベルサイユのばら』見てきた!(ネタバレあり)

はじめに

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

初めての方は初めまして。心療内科医でゆるく作家活動をしている、珠下なぎと申します。

 

さて、以前から見に行こう行こうと思っていてなかなか行けなかった令和劇場版『ベルサイユのばら』、ついに行って参りました!

たまなぎはベルばらファン歴30年以上のオタク。

もちろん原作は外伝含めて全巻読破(まだ持ってる)、昭和アニメもテレビ版・劇場版全部視聴(テレビ版DVD持ってる)、宝塚もビデオで10公演以上視聴、主題歌は宝塚・アニメ版含めほぼ歌える(ただし音痴)のガチファンです。

 

劇場版が色々言われているようなので、とりあえずうるさく語ります!

 

全体から感じた原作への深いリスペクト

全体的な印象で言いますと、非常に原作の再現率が高く、しかも2時間あまりによくまとめられていました。

代表的なエピソードをまとめ、その間をミュージカル調の歌と、アニメのOPやED画像のようなアニメでつないでいます。原作を知っているとどの話か分かりますが、分からなくてもおおまかなストーリーは理解できるようになっています。

唯一原作改変といっていいのは、アンドレの失明エピソード周辺くらい。

おそらく時間の関係でしょうが、黒い騎士のエピソードが省かれているので、改変せざるを得なかった感じです。

しかし、改変はしたものの、「オスカルが民衆の苦しみを知っていくエピソードの一環」であることには変わりなく、原作序盤のエピソード「飢えた幼子が公爵から金を盗もうとして捕まるシーン」、革命前夜の「オスカルが貴族の馬車で街へ出かけ、民衆に襲われるシーン」を取り込み、「黒い騎士を捕らえようとして反撃され、アンドレが片目を失う」エピソードとつなぎ合わせています。

 

全体を通して感じたのは、制作陣の原作に対する深いリスペクトと愛情でした。

もちろん昭和アニメは昭和アニメでとても良いのですが、昭和アニメはオスカルのキャラもかなり変更され、原作にないエピソードが挿入されたり、原作のエピソードがカットされたりしているので、昭和アニメしか見ていない層が「令和劇場版は原作改変!」と騒ぐのはだいぶ違うかな、と思いました。

 

魅力的な一人の「人間」として描かれたオスカル

原作に忠実なオスカル像

前項にも述べましたが、令和劇場版はかなり原作に忠実です。

特に、終盤に、父に対して「男として育ててくれたことを感謝し、後悔はないと語るシーン」「革命前夜に、自らアンドレを部屋に呼んで結ばれるシーン」「アンドレの死からオスカルの死までのエピソードとセリフ」は、可能な限り原作に寄せられており、昭和アニメでは映像化されなかった部分。

オスカルの結婚話に絶望したアンドレが、毒入りワインを用意してオスカルと無理心中を図るものの、かつてオスカルが身を挺してアンドレを庇ってくれたことを思い出し、すんでのところで思いとどまるシーンも、今回初めてアニメ化されました。

 

全体を通して、オスカルは「男性とか女性とか関係なく、激動の時代を、自らの意志で後悔なく生き抜いた、一人の人間」として描かれ、かなり原作に近いイメージになっています。

オスカルの女性性について、原作とかなり乖離した描き方をしていた昭和アニメとは対照的でした。

特にそれを強く感じたシーンを2か所ご紹介します。

 

アントワネットの素行をいさめるシーン

一つは、アントワネットの素行をいさめるシーン。

原作では、賭博や浪費に加え、フェルゼンとのスキャンダルで人心をさらに失いつつあるアントワネットを、オスカルは強くいさめます。それに対して、アントワネットは、嫁いできて以来、一人の女性として感じ続けてきた自分の寂しさや虚しさを吐露し、「あなたには分かってもらえなかった」と涙を流します。

それに対し、オスカルは「同じ女性でありながら、アントワネットさまの悲しみも寂しさも理解できていなかった」ことにショックを受けるのです。

令和劇場版では、このシーンはほぼ原作どおり描かれていますが、昭和アニメではかなり違った描き方をされています。

 

昭和アニメで、オスカルがアントワネットの寂しさを理解できなかったと落ち込むシーンはありません。それどころか、フェルゼンの帰国後、アントワネットの無駄遣いにいら立ちを見せるアンドレに、「あの方はお寂しいのだ」「もうしばらく、あの方のお好きなようにさせて差し上げたい」と理解を見せているのです。

 

オスカルの近衛隊から衛兵隊への異動

首飾り事件で王室の奢侈が白日のもとにさらされ、民衆の王室や貴族に対する反感が高まる中、オスカルは近衛隊からフランス衛兵隊へ異動します。

この理由は、原作でははっきりとは描かれていません。

ただ、「近衛隊を辞めたい」とアントワネットに願い出るだけで、異動先については希望を出さず、アントワネットの「空いているのはフランス衛兵隊くらい」との返事に、「それでも結構」と、引き留めるアントワネットを振り切って異動を決めるのです。

 

昭和アニメ版では、次のように描かれます。

フェルゼンへの失恋後、オスカルは「(女を捨てて)より男として生きたい」「男でなければできない任務に就きたい」とアンドレに吐露します。少し意地悪な言い方をすれば、失恋でやや自暴自棄になっているような印象です。

 

一方、宝塚版では、「民衆の不満が高まっている今だからこそ、衛兵隊の仕事が大事」とはっきり述べ、個人的な理由よりも、激動の時代の中で自分にできることが何かを模索した結果の選択となっています。

 

令和劇場版でも、時代が動いていく中、「民衆のことをもっと知らねば」と悩み、その結果としての選択、フランス衛兵隊への異動を自ら選んだものとして描かれていました。

 

初めてベルばらの原作・昭和アニメ・宝塚に触れた時、この衛兵隊への異動理由についてはたまなぎも色々考えたのですが、原作のオスカルの性格を考えると、宝塚版・令和映画版の解釈の方が近いような気がします。

 

昭和アニメと令和映画の違い

ぐだぐたと書きましたが、昭和アニメと令和映画を比較しますと、オスカルについて、昭和アニメでは「あくまで一人の女性」、令和映画では「あくまで一人の人間」として描こうとしていたように思います。

たまなぎは、原作のイメージに近い後者の方がより好みかもしれません。

昭和アニメの美しくてどこか危うさを秘めたオスカルも素敵ではあるのですが。

 

マニア向け要素あり、時代に合わせた配慮もあり

令和劇場版は、作画も原作に忠実なので、原作にはちゃんとキャラが与えられているけれど、映画では描き切れず、名前さえ出てこなかったキャラもすぐ分かるようになっています。

序盤では、ルイ15世の愛人で、アントワネットと対立したデュ・バリー夫人。

アントワネットが夫人に屈し、「今日はベルサイユは大変な人ですこと!」とついに声をかけたエピソードも、原作を読んだ人にはしっかり分かるようにアニメーションで描かれていましたね。

他にも、ポリニャック夫人・ロザリー・ロベスピエール・アラン・フランソワ・ジャンなども、原作を読んだ人にはすぐに分かりました。こういう丁寧な作りも良かったです。

一瞬だけ、後に皇帝になるナポレオンが映ったのも嬉しかったです。

制作陣は原作を徹底的に尊重しているのが分かる作りでした。

 

その一方で、原作にはあるけれど、現代ではコンプライアンス的にアウトと考えられるエピソードはカットされるなど、時代に合わせた細かい配慮も見られました。

初めて作品に触れる人に対しても配慮されているのも分かり、大いに評価したいと思います。

 

アントワネットはやや描写不足……?

オスカルのキャラが非常に原作に忠実に、丁寧に描かれているのに反して、尺の関係で仕方がないとは思うのですが、アントワネットやフェルゼンのキャラはやや描写不足に感じました。

特にアントワネットについては、浪費やフェルゼンとの醜聞、平民議員を見下す態度などが目立ってしまい、原作未履修の方には「ちょっと同情できないキャラ」と映ってしまいそうな印象を受けました。

革命後のアントワネットとフェルゼンについては、歴史的資料をベースにして字幕で説明されますが、ここはアニメを使った方が、その後の二人がイメージしやすかったのでは、とちょっと思いました。

 

まとめ

色々ぐだぐだと書きましたが、たまなぎとしては令和劇場版は、原作を最大限にリスペクトした素晴らしい作品だと思います。

できれば、昭和アニメのように40話かけて、同じスタッフでテレビ版を製作してほしいくらいです! いや、今の時代、ネットドラマでもいいので!

 

ベルばらについてはこちらの記事でも色々書いていますので、興味を持って下さった方はぜひ、こちらもご覧下さい!

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最後までお読み下さり、ありがとうございました!

 

 

 

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