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【緊急投稿】『ベルばら』のオスカルは、果たして「男として生きることをを強制された不自由な女性」だったのか?

はじめに

皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

チェリまほ15巻の感想が途中でしたが、最近X(旧Twitter)を見ていて、どうしても書きたいネタが出てきたので、こちらを先に書かせて頂くことに致しました。

 

ベルばらこと『ベルサイユのばら』について

少女漫画に興味がない方でも、『ベルサイユのばら』の名を聞いたことがない方はいないでしょう。

この漫画は、1972年から1973年にかけて、『週刊マーガレット』に連載された漫画。

シュテファン・ツヴァイクの伝記『マリー・アントワネット』に感銘を受けた、漫画家の池田理代子氏が、マリー・アントワネットの生涯を軸に、多数の架空の登場人物を織り交ぜ、フランス革命前後のフランス史をドラマティックに描き上げた少女漫画の傑作です。

大ヒットした作品は宝塚歌劇団での舞台化、テレビアニメ化、映画化、実写映画化などでさらに人気を高め、何と、連載から50年以上たった今年(2025年)、再びアニメ映画化されました。

たまなぎは中学時代に愛蔵版の『ベルサイユのばら』を読んでこの世界観にドはまり。

もちろんアニメは全話視聴(DVD持ってる)、宝塚歌劇団のものもビデオ化されたものは全て視聴しました。ビデオテープの終焉と共にビデオで所持していたものは破棄してしまいましたが、DVD化された、涼風真世さん主演の『オスカル編』は今でも持っています。

 

『ベルばら』の主人公の一人、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェについて

『ベルサイユのばら』はマリー・アントワネットの生涯を軸にしていますが、後に彼女の愛人となるスウェーデン貴族、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンと、池田理代子氏によるオリジナルキャラ、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェも、マリー・アントワネットに並ぶ主人公として描かれます。

この三人は同じ年の生まれ。

オスカルは、代々軍人として名高いジャルジェ家に、6人姉妹の末娘として生まれます。

軍人として男の子の誕生を待ち望んでいた父のジャルジェ将軍(実在の人物)は、末娘のオスカルを、男の子として育てることを決意。

元々剣の才能があったオスカルは、父の期待どおり、優秀な軍人に成長します。

また、オスカルはたぐいまれな美貌の持ち主でもあり、宮廷の女性の憧れの的となります。

社会的には男として生きるオスカルでしたが、彼女は性自認は女性で、恋愛対象は男性。男装はしていても、本当は女性であることもオープンにされていました。

正義感が強く、激しい情熱を胸の底に秘めたオスカル。フランス革命前後の激動の時代に、彼女の運命も翻弄されていくのですが……

 

オスカルはトランス男性ではない

今なお根強い人気を誇っているベルばらですが、連載から50年以上経ちますと、原作や映像作品に触れる機会も少なくなり、最近の人の中には、「オスカルはジェンダーに囚われず自由に生きたトランス男性」と誤解される方が出てきたようなのです。

それに対する反論として、X(旧Twitter)上で、「オスカルは父の横暴で意志に反して男として育てられた」「男社会の都合で翻弄されて不自由を強いられた、ある意味女性らしい女性だった」とする投稿をちらほらと見かけるようになりました。

そこでたまなぎは「ん?」と思ったわけなのです。

もちろん、オスカルがトランス男性というのは間違いですし、オスカルは確かに、自分の意志と関係なく、男として育てられましたが、「不自由を強いられた女性」というのはちょっと違うのではないかと。

確かに、「思うまま生きた」とは言えないかもしれない。しかし、彼女は「男として育てられたことにより、自由を失った」とは言えないと思うのです。

以下、たまなぎがそう思った理由を述べていきます。

 

オスカルは「不自由な女性だったか」

オスカルは、本来の性とは違う社会的役割で生きることを強制されました。

それは彼女の意志ではなく、そういった意味では確かに「不自由」だったかもしれません。

しかし、あの時代、女性として彼女が生まれていたらどうだったでしょう。

革命前夜、オスカルは父にこう詰め寄ります。

「もし、あたりまえの女性として育てられていたら、私も姉上たちのように、15になるやならずで嫁がされたのでございますか? (略)子を産み、子を育て!」

この時代、女性の役割は、生家にとって利益となる相手と結婚し、結婚したら子を産み、子を育てることでした。

「そのとおりだ」

と答える父に、オスカルは、

「父上、(男として育てて下さったことを)感謝します。女でありながら、こんなにも激しい生を。ぬめぬめとした人間の愚かしさの中で、もがき生きることを。(中略)私は、軍神マルスの子として生きましょう」

と告げます。

貴族のお嬢さんとして家の中に閉じこもっていたら、ロベスピエールや、義賊・黒い騎士やパリの下町娘・ロザリーに出会うこともなかったでしょうし、庶民の苦しみを知ることも、貴族社会の矛盾に気づくこともなかったでしょう。

いや、人一倍正義感が強く頭のいい彼女のこと。何かの機会に気づくことがあったかもしれません。しかし、一貴婦人に過ぎなかったとしたら、彼女に何ができたでしょう。

革命を前にして、オスカルは近衛隊を辞め、フランス衛兵隊に身を投じます。荒くれものだらけの兵隊とぶつかりながらもやがて強いきずなで結ばれていき、パリの庶民が置かれている窮状を知ります。そしてオスカルは、やがてやってきた革命の嵐の中、革命側の兵士としてその命を投げ出すのです。

彼女は死の直前、こう独白します。

「神の愛に報いるすべも持たないほど、小さな存在ではあるけれど、一瞬として悔いなく、与えられた生を生きた。人間としてこれ以上の幸福があるだろうか」

そして、バスティーユ陥落を見届けた直後、33年の短い生涯を終えるのです。

こうしてみると、彼女の人生は、「男として生きることを強制された」人生ではあったけれど、男として生きることにより、「人としてはより自由で充実したものになったのではないか」と思えるのです。

 

原作とアニメ版の違い

オスカルの人生を「不自由なもの」と感じるかどうかは、原作とアニメ、どちらに先に触れたかによっても別れるかもしれません。

原作のオスカルは「小さい頃、自分を本当に男だと思っていた」と、自分の人生に疑念を持つ機会もなく、男としての人生を歩んでいます。

彼女が女性としての自分に向き合わざるを得なかったのは、マリー・アントワネットの愛人であるフェルゼン伯爵に、叶わぬ恋をしたこと。

生涯ただ一度と思い定め、身分を隠してドレスをまとって舞踏会に出席し、フェルゼンの前に姿を見せます。

正体を知らないフェルゼンにダンスに誘われ、これを最後の思い出と、自分に言い聞かせます。しかし後日、舞踏会に現れた謎の美女がオスカルだったことに気づき、彼女の想いに気づいてしまうフェルゼン。それを最後に、オスカルは自分の恋とフェルゼンに、別れを告げるのです。

 

原作では、オスカルが自分の女性性を強く意識するエピソードは、恋愛関係のエピソードに集約されるのですが、アニメ版ではかなり異なります。

まず第一話はオスカルが14歳の春から描かれるのですが、そこでオスカルは、男として生きることを強制する父に疑問を抱いています。色々あった末、最終的に父の押し付けた運命を受け入れるのですが、そこに原作にはなかった葛藤が見られます。

その後も、オスカルは繊細で心優しく、内にもろさを隠している女性として描かれ、各所で「自らの女性性を押し殺している」ととれるエピソードが挿入されています。

原作で見られた、時に男としての立場を楽しんでいるようにさえ見える、豪胆で好戦的な面は抑制的に描かれます。

 

アニメ版を先に見ると、「女性として生きたかったけれどそれを押し殺し、男性として生きた」面が目立ってしまうかもしれません。

小さなころから自分一人を想い続けてくれたアンドレと結ばれたのも、アニメ版ではまさにアンドレの死の前夜。その後も、「もう少し早く気づいていれば」と後悔だけが描かれ、原作にあった、死の直前の「自分の生に満足している」エピソードはカット。ただ一言、「アデュウ」の言葉を残して落命します。

アニメ版も名作ですが、オスカルのキャラというイメージでは、私は宝塚版の方が原作に近いような気がしますね。こちらも演者さんによって差があるので、一概にはいえませんが……

 

さいごに

ベルばらについて語り出すと止まらなくなるたまなぎ。

早く映画も見に行きたいのですが、ベルばらは上映館が少なく、なかなか都合が合いません(汗)。

見終わったらまたうるさく感想をつづると思います。

さいごまでお付き合い頂いて、ありがとうございました!

 

 

 

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