作品関連情報と歴史・文学・ドラマ・本・映画etc

たまなぎブログ by LTA出版事業部

古代の山城・大野城探索!③宇美口城門跡・百間石垣

はじめに

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

さて、今回は古代の山城・大野城最終回です。

前回の山頂付近から車で移動し、県民の森センターを経て、百間石垣へ向かいます。

 

県民の森センターと漏刻

大野城の観光拠点として、もう一か所駐車場が完備されているのが、ここ、県民の森センター。

簡易水洗ですが、清潔なトイレと広い駐車場、自販機があり、大野城の案内図も無料配布しています。

ここの池で、ひっそりとすごいものを見てしまいました!

何か分かりますか? たまなぎの作品『神眠る地をオニはゆく』にも登場するものです。

 

近くで見るとこんな感じ。

 

これ、時計なんです。

水時計。

天智天皇が大陸から技術を学び、大宰府の月山に作らせた水時計。同じ原理を利用したものがここに再現されています。(もちろん昔はコンクリートはありませんでしたが)

階段状に水を受けるものを重ねていき、上部から水を注ぐと、水は一定の速度で流れていきます。それに目盛りを刻んだ矢を浮かべておくと、水の量に従って矢が浮き上がり、目盛りを読んで時間を知る、というものです。

ここから少し足を延ばせば猫石礎石群も見られたのですが、時間の関係で泣く泣く諦め、大野城最大の石垣、百間石垣へと向かいます。

 

宇美口城門跡~百間石垣

さて、再び車で進んで、目指すは百間石垣。

大野城の中で大石垣と並んで最大の石垣とあって、わくわくが増し増し。

しかし、ここは駐車場がなさそうですし、見逃さないか不安。かなり遠そうですし……。

車道の左側に注意しながら進みます。すると、いきなり現れました!

しっかり「百閒石垣」の看板もあり。しかし、一見したところ、石垣らしきものは見えず。よく見ると、この写真の右手、土が盛り上がったところに沿って木の段々が作られ、上に登れるようになっています。駐車場はありませんが、車道の横に縦列で車二台程度停められる程度のスペースが設けられています。

 

手前に見える階段を上ると、見えてきます。かなりの急勾配で、高さもかなりあります。行かれる方は足元にくれぐれもご注意を。

 

階段を登りきると、ようやくご対面です。「百間石垣」の標識あり。

 

間近で見ると、こんな感じです。

 

実は、最初の写真の手前には四王寺川が流れています。

案内板にはこう書かれています。

起伏の激しい地形のため谷間は土塁ではなく石を積み上げたダムのような石塁とし、急傾斜部は石垣を作るなど工夫をこらしている。この「百間石垣」の名称は、四王寺川の部分を石塁とし、それに続く山腹部を石垣とした城壁で、長さが180mほどであることから名づけられたものである。平均4mくらいの高さが残っており、川底部では石塁幅は9mほどある。外壁面の角度は75度前後である。この川の中から今までに3個の礎石などが発見されており、川に近い場所に城門があったと考えられる。

しかもこの川、かなり流れも速いです。川も防御の一つに使われたのかもしれませんね。

おまけのクイズ

さて、最後におまけのクイズ。

大野城には、土塁に沿って33体の石仏が安置されています。
戦国時代、ここに築かれた岩屋城の攻防戦で亡くなった数千の兵の霊を慰撫するために作られたと言われています。
実はこの写真の中にも仏さまがおられます。22番の石仏。
さて、仏さまはどこでしょう?(答えは末尾)

おわりに

大野城はとても広く、一日ではとても回り切れません。城門だけでも9か所、主な礎石群だけでも7か所あり、広範囲に散らばっています。全部歩いて回ろうとしたら……大宰府口城門跡の駐車場まで車で登ったとしても……1日かかるかな(それでも回り切れるかな?)

行かれる方は、よく地図を見て、行きたい場所をピックアップしてから臨まれることをお勧めします。

しかし1300年前、敗戦直後で人手も足りなかった時期に、これだけの大土木工事が行われたというのはかなりすごいことだったのだと思います。それだけ大陸からの侵攻が差し迫った脅威だったのでしょう。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!(クイズの答え:画面中央の洞穴の中)

 

 

 

 

  • B!