皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。今日も来て下さって、ありがとうございます。
さて、今回は前回までに紹介しきれなかった、福岡県八女市に残る、瓊瓊杵尊ら「日向神」の神話をご紹介したいと思います。
福岡県八女市には、瓊瓊杵尊らが滞在したという神話が残っています。しかも、神話によると、瓊瓊杵尊・木花咲耶姫・火明命はこの地で最期を迎えたことになっており、大変興味深いお話が沢山残っています。
「日向神神話」についての記事はこちら↓
皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。 今日も来て下さって、ありがとうございます! さて、今日は前回の続きです。 前回の記事はこちら↓ 前回ご紹介した『日向神案内助辨』に ...
謎の女神・八女津媛の真相に迫る②八女に伝わる「日向神神話」
今回は江戸時代のガイドブック『日向神案内助辨』に記された、日向の神々にちなむ名所の数々をご紹介します。
現在有名なのは蹴洞岩ですが、『日向神案内助辨』には、他にも色々な名所が案内されています。もともとがガイドブックですからね(多分)。
その中に、瓊瓊杵尊・木花咲耶姫らのエピソードが残るものも沢山ありますので、ピックアップしてご紹介します。
①神盥岩(みたらいいわ)
「日向神誕生(筆者注:火明命ら三柱の神)の時、御産湯の節に三つ岩盤が忽然と出現したと申し伝えられています」
②千畳岩
「広くて白い、ところどころに馬の足形模様が印されている。俗に明神(筆者注:火明命のこと)の神馬の足跡という」
③枕岩
「材木岩とも神祓岩とも言われている。この岩の形は、枕や角木、または神殿の反った屋根などの切り口を数百見るような形の奇岩です」
④亀ノ尾岩
「この岩の頂上に年徳神がおられます」
(筆者注:年徳神=年の神。お正月にやって来る来訪神)
⑤三社岩
「瓊瓊杵尊・木花開屋姫(ママ)・火明尊の三柱が鎮座している岩といわれる」
⑥瓊瓊杵尊の神殿
「瓊瓊杵尊の神殿は陽をかたどり、日向神の里と称して、今に至るまで他の国より参拝して拝み見た人の目には驚愕し、見ていない人でも聞いて心に感じています」
これは日向神神社のことなのか、江戸時代には神殿と呼ばれる場所があったのかははっきり分かりません。ただ、前後の文脈から、場所的には日向神神社とは別のような気がします。
⑦穿室(うつろ)
「木花開耶姫のおこもりになった御産所の穿室は巌の円、八畳敷きあまりの岩中が穴地となっている。北大淵の内に穿室村という人家があります」
⑧竹刀
「三人の尊がお誕生の時、へその緒を切りなさる刃物を忌み恐れて竹刀を用いた。その竹刀を清浄な地を選びはるかに遠い高山に埋め捨てたところが、今同郡星野村の中にある竹刀で、人家があります(中略)古きからの伝えにより、臍の緒を切る時には皆民は竹刀を用います」
⑨子敷岩屋
「穿室で(木花咲耶姫が)お産をした時に敷いたものを捨てたところを子敷岩屋と言って、奇岩がある。北大渕村の中にある」
⑩御前岳
「瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、火明命三人の神がおなくなりになって、その陵墓には清浄な地を選び納め奉ろうと、大変高い山に社をと、筑後豊後の高岳に納め奉ったところを御前岳という。大昔に一棟を創建して現在に至っており、北矢部村の中にある。近国では最も高い山で諸人が登岳するのに、壁を登るような甚だ難所です」
御前岳は福岡県八女市と大分市日田市の境目にあり、標高は1209mの高い山です。
八女に伝わる伝説によると、瓊瓊杵尊らはここで最期を迎えたことになっているのですね。びっくりです。
①~④は日向神にあり、かつては多くの人の目を楽しませていたそうですが、今は残念なことにダムの底に沈んでしまっています。
下が現在の風景。奇岩は見えなくなってしまっていますが、春は桜が大変美しいそうです。
また、⑤は、蹴洞岩の見える山裾からさらに奥に入った「奥の院」にあり、至る道は大変危ないので、昔から中等度の身分以上の人は決して行かず、入れば凶事があると伝えられたそうです。他にも、衣掛岩・供利伽羅岩など、奇岩が沢山あるそうです。おそらく今でも入ることは困難と思われます。
これだけ瓊瓊杵尊・木花咲耶姫・火明命に関する伝説が沢山あり、しかも三人が亡くなった後のことまで書かれているとなると、本当に彼らはこの地にいらしたのではと思ってしまいます。
八女在住の方によると、八女から高千穂までは下道でも車で3時間ほどだそうですから、意外に近いようです。ですから、高千穂から瓊瓊杵尊がここにやって来てこの地で結婚・子どもをもうけたとしても不思議ではありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!