皆さんこんにちは、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さてさて今日は久しぶりに歴史メモです。
今年の春、『チェリまほTHEMOVIE』の鑑賞のために久々に博多駅に出かけました。
映画の開始まで時間があったので、博多駅周辺を散策しました。
そこで、以前から気にはなっていたものの、足を踏み入れたことのなかった場所に行ってみました。
博多駅から徒歩約10分の場所にある、住吉神社。
先日ツイートしましたらかなりの反響があった、ちょっと面白いものにも出会えました。
それではご紹介します。
①最古の住吉神社
住吉神社という名の神社は、何と全国に2129社もあるそうです。
博多の住吉神社は、その中で最古と言われており、大阪の住吉神社・下関の住吉神社と並んで、3大住吉神社のひとつに数えられています。
神社のHPによると、その歴史は1800年以上にさかのぼるとか。
この1800年、何を根拠にしているのでしょう?
それはこの神社に祀られている神様に関りがあるのです。
この神社に祀られているのは、「底筒男命(そこつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「表筒男命(うわつつのおのみこと)」の三神。
この三神は、「住吉三神」と呼ばれます。
「住吉三神」は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、黄泉の国から帰ってきたとき、黄泉の国の穢れを祓うために禊をした時に、海の中から現れた神様だと「古事記」に記されています。
伊弉諾尊が黄泉の国に行ったのは、火の神加具土命(かぐつちのみこと)を産んだ時に女陰を焼いて死んでしまった妻の伊弉冉命(いざなみのみこと)を取り戻すためでした。
けれど「見てはいけない」と言われたのに変わり果てた妻の姿を見てしまったため、怒り狂った妻に追いかけられ、やっとのことで現世に戻る……というお話でしたね。聞いたことのある方も多いでしょう。
②住吉神社と神功皇后
さて、住吉神社の相殿(あいどの)には天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)が一緒に祀られています。
それもそのはず、住吉三神と神功皇后は、大変ご縁が深いのです。
以前のブログで、神功皇后が熊襲平定のために九州に下った時のお話をご紹介しました。
この時、このようなエピソードをご紹介したのを覚えておられるでしょうか?
神功皇后は、仲哀天皇と共に熊襲(九州南部の異民族)征伐のため九州に赴きます。
天皇・皇后は香椎宮(現在の香椎神宮)を仮住まいとしますが、そこで皇后に神託が下ります。
「熊襲はやせた土地であり、討伐するに足りない。それよりも海を越えて金銀財宝の豊かな土地・新羅を征伐しなさい」と。
ところが天皇はその言葉を信じず、予定どおり熊襲を撃とうとします。ところが勝てずに帰り、香椎宮で急死してしまいます。
この後、神功皇后は再び神託を求めます。すると再び、新羅征伐を指示した神が姿を現すのです。
そして神は初めて自分の名を名乗ります。それが「底筒男命・中筒男命・表筒男命」。
この神々に従って、神功皇后は神々を祀り、戦の支度を整えます。すると熊襲は従い、新羅への出兵=いわゆる三韓征伐も成功裏に終わります。
この時、神功皇后が身重でありながらお腹に石を巻いて出産を遅らせた話、帰国して出産した地が今では安産祈願の神社になっているお話などは、以前こちらのブログでもお話しましたので、興味のある方は是非ご覧下さい!
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珠下なぎの歴史メモ㊲太宰府の梅が枝餅と神功皇后の子安餅
神功皇后の三韓征伐は史実かどうかは定かではありませんが、もし史実だとすると4世紀の後半くらいだろうと推定されています。ただ、日本書紀の年代をそのまま当てはめますと、仲哀天皇の崩御が西暦200年。
住吉神社の1800年以上の歴史、というのはここから算出されたものと思われます。(もっとも、日本書紀の年代をそのまま西暦に当てはめる方法を使うと、神武天皇の即位が紀元前7世紀となってしまいますので、この方法は今ではあまり取られていません)
③「鬼縛り石」
そんな由緒正しい、歴史ある住吉神社ですが、境内にちょっとおもしろいものがありました。
「鬼縛り石」。
追儺の際、境内に蔓延る災厄を鬼に見立て、鎮められた鬼を縛りつけたと言われる石の柱です。
鬼好きとしては、思わず反応してしまいますね。
追儺の鬼ということですから、この場合の鬼は、疫病をもたらす「疫鬼」でしょう。けれどわざわざ縛り付けるなど過酷な扱いをしているところを見ると、王権にまつろわぬ(=従わない)民としての鬼の性格も含めていたような気もしますね。
鬼には、病気をもたらす疫鬼・王権に従わない異民族・産鉄民など、様々な性格があります。
しかしいずれにも共通するのは、「反権力」もしくは「権力につぶされた者たち」ということ。
疫鬼にも、起源となった中国の疫神信仰には、「敗軍死将」つまり戦に敗れた将が疫鬼になる、という言い伝えがありました。
鬼については、こちらの記事にまとめていますので、興味のある方は是非ご覧下さい!
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!