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たまなぎブログ by LTA出版事業部

参院選前に~格差社会と暗い未来を予見したエンデの名作『ハーメルンの死の舞踏』

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます。

明日は参議院選挙。皆さんよく考えて、後悔のないように投票してくださいね。

さて、今日はちょっと趣向を変えた記事です(過去のアメブロ記事と一部重複があります)。

 

私が翻訳文学の中で最も愛読している作家、ミヒャエル・エンデ(独,1929-95)。

「誰?」と思った方も、映画『ネバーエンディング・ストーリー』の原作者、というと「ああ、あの人か」、と思われるのではないでしょうか?

(もっとも、映画『ネバーエンディング・ストーリー』は原作『はてしない物語』とは似ても似つかぬ結末になっており、原作者から訴訟を起こされるまでになっていますが、それはまた別のお話で)

エンデは20世紀を代表する児童文学作家でファンタジーを得意とし、『モモ』、『魔法のカクテル』『はてしない物語』など、数々の優れた児童文学を残しました。

その一方で、加速する資本主義社会に大変危機感を持っており、それを風刺する優れたファンタジーを幾つも残しています。

格差社会は現代でも大きな問題になっており、特にここ数年日本でも喫緊の課題として取り上げられるようになりました。

ところが、エンデは既に、1980年代からそれを予見し、警鐘を鳴らしていたのです。

その危惧を表したのが戯曲『ハーメルンの死の舞踏』なのです。

 

1.『ハーメルンの死の舞踏』の世界

この作品は、ヨーロッパに伝わる「ハーメルンの笛吹男」の伝説を大胆に解釈し直したものです。

もともとのハーメルンの笛吹男の伝説は次のようになっています。

”昔、ハーメルンの街は鼠に荒らされて困っていた。そこに、「鼠取り」を名乗る男がやって来て、報酬と引き換えにネズミの駆除を持ち掛けた。ハーメルンの人々は男に退治の報酬を約束した。すると男は笛の音でネズミの群れを操って川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。だが、人々は笛吹き男への報酬を出し渋ったため、怒った笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去ってしまった。男も子供達も二度と戻って来なかった”

聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

 

一方、エンデの『ハーメルンの死の舞踏』の舞台となった町では、一部の富裕層が大多数の貧困層を支配しています。

富裕層の人々は、貧困層の人々に隠れて、ひそかに「大王ネズミ」という醜悪な化け物を信仰しています。

この化け物は、尻から金をひり出すたびに、「死の影」を生み出し、生み出された「死の影」は必ず一つの命を死に追いやるのです。(うげぇ……)

犠牲になるのは、植物、動物、貧困層の人々などが最初です。

ですから、富裕層の人々は、「私たちの番はまだ来ない」と死の影からは目をそらし続けるのです。

富裕層の人々は、死の影からは目をそらし、もし大王鼠がいなくなったら、

「施しに頼っている貧しい人々はどうなるのか?」

と自己欺瞞を重ねるのです。

 

そして、大王ネズミから生まれたのは、死の影だけではありませんでした。「この世のものの胎から生まれたとは思えない」醜悪なネズミたちが、ハーメルンの街に溢れ、病が蔓延します。

そして、死の影と病におびえる人々のもとに、一人の笛吹き男がやって来ます。この男は、街の支配者たちに、ネズミを駆逐することと引き換えに大王ネズミを要求するのです。

街の支配者は笛吹き男にネズミを駆逐させますが、貧しい人々が大王ネズミの存在を知らないのをいいことに、笛吹き男を街を誘惑する犯罪者と断罪し、追放してしまいます(ひどい……)。

笛吹男は街の人々から迫害を受けて息も絶え絶えとなって街をあとにしますが、街の子供たちもそれに続きます。

男は街から離れた丘の上で、笛を子どもたちに託して息絶え、そこで物語は終わるのです。

 

2.物語に込められたエンデの警鐘

エンデは、利子によって無限に増殖するマネーの世界に強い疑問を抱いていました。

(詳しくはこちら→http://ameblo.jp/dr-nagi/entry-11539963307.html

現在の経済システムでは、持てるものは持てるマネーを増殖させることによってますます富を持つようになります。ところが、一方で、持っているお金を生活のために使い切らねばならない人々は、お金を増やすことはできません。

それどころか、様々な商品やサービスの価格には、それを提供する企業が銀行や投資家から借り受けたお金を返すための利子が含まれています。

貧しい人々は、それを商品の消費という形で負担しなければなりません。

これによって、持たざるものはますます貧しくなり、持たざるものが持っていたわずかなものは、持てるものにどんどん奪われていきます。この結果、現在のように、地球上の富のほとんどをわずか数パーセントの富裕層が独占しているという異常な事態が生まれるのです。

だが、『ハーメルンの死の舞踏』の中の富裕層がそうであるように、我々はこのシステムから逃れられない。醜悪な大王ネズミとそれから生み出される死の影に嫌悪を示し、入信を拒もうとする市長の娘でさえ、母親のこんな一言であっさりと丸め込まれてしまう。もし、大王ネズミがいなくなり、富裕層が富裕でなくなったら……。

「施しに頼っている貧しい人たちはどうなるの?」と。

これは、現代の日本では、多くの富を握る大企業の代表者たちや政治家たちによって、こう言い換えられています。

「もし大企業の業績を悪化させることがあれば、どうやって雇用を守ればいいのか?」と。

平成の30年で消費税は10%にまで増税されましたが、その一方、ほぼ消費税増税分にあたる税収と同じ分だけ、法人税は減税されました。

「金持ちが金持ちでなくなったら、結果的に貧しい人たちが困る」「雇用が守れない」「大企業が潤えば雇用されている人たち、ひいては日本全体が豊かになる」

与党の政治家がよく口にすることですね。その結果、今の日本はどうなったでしょう?

税負担率は増え、社会保険料として徴収されるお金は増え、実質賃金は下がり続け、受けられる社会保険サービスは縮小しています。格差を示すジニ係数も年々上昇を続け、「親ガチャ」などという言葉が流行るようになりました。これは、経済格差がもはや個人の努力ではどうしようもないところまで来てしまったことを表しています。

また、「死の影」や「醜悪な鼠」を、環境汚染や、原発から出る放射性廃棄物と読みとれば、現代社会は『ハーメルンの死の舞踏』に描かれた悪夢の世界そのもの。

現代社会の矛盾を見抜き、未来を担う子どもたちを先導する存在こそが、現代のハーメルンの笛吹男といえるかもしれません。

皆さんは誰に、現代の笛吹男の姿を見るでしょうか?

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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