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たまなぎブログ by LTA出版事業部

珠下なぎの歴史メモ㊱巫女王としての古代の女帝たち

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、前回のブログで、斉明天皇が白村江の戦いに臨んで朝倉に居を定めたことについて、「同じように大陸と戦い、勝利を収めた神功皇后の行動に倣い、その偉業にあやかろうとしたのではないか」と書きました。

斉明天皇が神功皇后を意識した行動を取っていたことは色々な方が指摘されていますが、斉明天皇と神功皇后には大きな共通点があります。

それは、巫女的な性格を持つことです。

神功皇后は香椎宮で神託を受けますが、それに従わなかった仲哀天皇は急死してしまいます。

仲哀天皇の死後、再度神功皇后は香椎宮で儀式を執り行い、前回神託を受けた神の正体を問いただします。その後神託のままに神々を祀ったところ、仲哀天皇が討つことができなかった熊襲は朝廷に従います。

これは、神功皇后の巫女としての能力が国家の命運を預けるに足りるものであったことを示すエピソードです。

 

一方、斉明天皇。

斉明天皇は夫の舒明天皇の死後、一度皇極天皇として即位します。

その後乙巳の変(蘇我入鹿誅殺事件)で一度退位し、弟の孝徳天皇に位を譲ります。孝徳天皇が亡くなった後、重祚(2度目に天皇位につくこと)して斉明天皇となるのです。

一度目に即位した皇極天皇時代、こんなエピソードがあります。

ある年に日照りが続きます。に村々の神官たちが雨乞いの儀式を行ってもいっこうに効き目がなかったのに、皇極天皇が跪いて四方を拝し、天に向かって祈るとたちまち雷鳴が轟き、大雨が降ったというのです。このために大変徳のある天皇だと、全国の百姓たちは大喜びしたそうです。

 

この二人以外にも、第21代雄略天皇の死後、一時的に政治を執り行い、事実上の天皇とも言われている飯豊青皇女(いいとよのあおのひめみこ)にも巫女的性格を指摘する学者もいます。

そして古くは言うまでもないあの方。

邪馬台国の卑弥呼ですね。

生涯独身を通し、神と人のつなぎ役を果たし、戦争の絶えなかった周囲の国々に平和をもたらした女王です。

 

このように、日本の古い時代の女帝たちには、巫女的性格を持ち、国家を収めた女性たちが数多くいました。

時代が下ると、女帝の即位は、皇族の男性の間の皇位争いを鎮め、皇位継承をスムーズにする「つなぎ」としての性格を強く指摘されるようになります。

皇極・斉明天皇の即位には確かにそういった側面もあるのですが、飛鳥時代以前には、巫女的な力で国を治めた女性がいたこと、その後も女性の巫女的な力を重視した古代日本社会の性格が受け継がれていたことは、注目に値するのではないでしょうか?

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

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