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たまなぎブログ by LTA出版事業部

写真で見る『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台【天拝山歴史自然公園・武蔵寺編】

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

 

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

 今回は、写真で見る『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台シリーズの5回目、天拝山歴史自然公園と武蔵寺です。

 

『遠の朝廷にオニが舞う』でも、何度も登場する武蔵寺。

現在の武蔵寺は、天拝山のふもとにある、天拝山歴史自然公園の奥にあります。

引用画像:ことまち写真館

 

天拝山歴史自然公園には、瑠璃子姫の父である藤原虎麿像があり、藤原虎麿が植えさせたという樹齢1300年と言われる藤の木があります。

毎年春の藤まつりでは、沢山の人でにぎわいます。

引用画像:ことまち写真館

 

 

 

天拝山は、菅原道真が無実の罪を着せられて太宰府に流された時、この山に登って天に無実を訴えたという伝説から天拝山という名前で呼ばれていますが、それ以前は椿花山と呼ばれていました。

天拝山は普段着でも登れる程度の低い山ですが、山頂からは物語の舞台となった太宰府市・筑紫野市が一望できます。

 

現在の武蔵寺は天拝山歴史自然公園の奥にありますが、物語の時代には、現在の武蔵寺よりも約1kmほど北の、今は塔原廃寺(とうのばるはいじ)と呼ばれている場所にあったと考えられています。

ここには現在、巨大な礎石が残されています。

これは、虎麿のモデルである蘇我日向が孝徳帝の病平癒を祈って建てたと言われる般若寺の跡とも考えられています。

 

般若寺はやがて大宰府の条坊制が整うと、さらに1.5km北の、条坊内に移されます。

それが現在の般若寺跡です。

 

今は礎石しか残っておらず、伽藍の全容もよく分かっていない新般若寺ですが、物語の時代にはまだ存在すらしていなかったのですね。

 

残った塔原廃寺がさらに後に移されたものが、現在の武蔵寺と考えられています。

塔原廃寺はとても見つけにくい場所にありますが、物語の舞台となる武蔵寺が実際に存在していた場所ですので、お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください!

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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