作品関連情報と歴史・文学・ドラマ・本・映画etc

たまなぎブログ by LTA出版事業部

珠下なぎの歴史メモ⑥天稚彦と七夕伝説

皆さん今日は、珠下なぎです。

 

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

本日は、日本独自の七夕伝説についてお話ししたいと思います。

 

七夕神社なるものは全国各地にあり、それぞれ独自の伝説を持つものもあります。

今回は、文学作品の中で魅力的な物語に発展した、日本独自の七夕の物語をご紹介したいと思います。

 

この物語は、室町時代に成立した『御伽草子』に収められている、「天稚彦草子(あめのわかひこそうし)」。

 

ん? 天稚彦? 皆さま覚えておいでですか?

以前にこのブログでも紹介した、イケメンの神様です。

関連記事
『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㊲天邪鬼考その2~ルーツはイケメンの神様!?~(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。   前回に引き続き、天邪鬼のルーツについてお話しします。   今回は天邪鬼の二つ目のルーツ、古事記について。 古事記で天邪鬼のルーツとなった神様は ...

続きを見る


天稚彦は、高天原の出雲平定(実際は侵略)先駆けて、高天原から出雲へ遣わされます。

ところが、大国主命の娘を妻にして帰らず、高天原に疑われてスパイを差し向けられ、対応を誤ったために自分の放った矢を胸に受けて若い命を落とすのです。

若さゆえの危うさとはかなさを感じさせるエピソード、その美貌が相まって、大変人気のある神様で、様々な文学作品のモデルとなりました。

 

その一つが、「天稚彦草子」。

 

以下、ウィキペディアよりあらすじの引用です。

ある長者が三人の美しい娘を持っていた。ある日長者の家に蛇がやってきて、娘を嫁にくれなければお前を食ってしまうと脅した。長者が娘たちに事情を話すと、長女と次女の二人は拒んだが、心優しい末娘だけが了承した。末娘は三人の中でも特に可愛がっている娘だったが、泣く泣く差し出すことにした。蛇が指定した場所で末娘が怯えながら待っていると、蛇がやってきて、自分の頭を切るように言う。言われたとおりに、末娘が爪切りで蛇の頭を切ると、蛇は美しい男の姿になり「自分は天稚彦である」と名乗った。

長者の末娘と天稚彦は楽しい日々を送るが、ある日天稚彦は用事があって天に旅立ってしまう。その時に唐櫃を娘に渡して、これを開けたら帰ってこられなくなると告げた。あるとき末娘の裕福な暮らしを嫉んだ姉たちが押しかけ、妹の体をくすぐって鍵を奪い取り、唐櫃を力ずくで開けてしまった。やがて約束の日が過ぎても天稚彦が戻ってこないので、娘も天稚彦を探しに旅立つことになる。ただし一度天に昇ったら、もう地上の世界へは帰って来られないかもしれない。自分がいなくなったことを両親が知ればさぞ嘆き悲しむだろうと心を痛めながらも、娘は決意を固めて天稚彦のもとへと向かう。

天稚彦を探して天に昇った娘は、ゆうづつ箒星などの星たちから話を聞いて、遂に天稚彦と再会する。天稚彦はたいそう喜んで娘を迎えた。しかし実は天稚彦の父親は恐ろしい鬼であり、人間の娘を嫁として認めるはずがない。それでも娘は「あるがままを受け入れましょう」と答えるのだった。

それから数日経ち、とうとうこの父鬼がやってきた。父鬼が部屋に来る気配を感じると、天稚彦は咄嗟に術を使って、娘を脇息に変えてしまった。おかげで父鬼は娘の存在には気付かなかったが、「人の香がする」と言って去って行った。それからも度々来るようになったので、その度に天稚彦は娘を扇子に変えたり、に変えたりして誤魔化していたが、ある日うっかり昼寝をしていて娘を見つけられてしまう。

父鬼は娘に、百足の蔵で一晩過ごすように、などと難問をつきつける。しかし娘が天稚彦から譲り受けた袖を「天稚彦の袖」と言いながら振ると、百足は刺すことをしない。そこで父鬼は次々と難問を出すが、それも娘は天稚彦の袖を使って突破する。父鬼はとうとう娘を認めて「月に一度だけなら会ってもよい」と告げるのだが、娘は「年に一度」と聞き間違えてしまう。そこで父鬼が「それでは年に一度だ」と、瓜を地面に打ち付けると、天の川となった。こうして、娘と天稚彦は年に一度、7月7日の晩だけ逢瀬を楽しむことができるようになった。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A8%9A%E5%BD%A6%E8%8D%89%E5%AD%90

Youtubeの動画でも紹介されてます。


もはや、「1年に1度の逢瀬」という以外には、もともとの七夕伝説とは似ても似つかぬ話になっていますね。

けれど、牽牛星を日本語で「彦星」と呼ぶようになったのは、この天稚彦草子の影響が考えられます。

「彦」は、「海幸彦」「山幸彦」に見られるように、日本における古代からの男性の美称です。優れた男子、というほどの意味です。

最近はあまり見られなくなりましたが、今の50代以降の男性には、「克彦」とか「明彦」とか、「彦」の付く名前も多くみられましたね。

 

この天稚彦草子、もともとの七夕伝説とはかけ離れた内容ですが、様々な民話の類型を含んでいて非常に面白いですね。

「箱をあけてはいけない」は、見るなの禁止と呼ばれます。

禁止事項が設定され、それを破ることによって悲劇的な結末が訪れるものですね。

「鶴の恩返し」などもその典型でしょう。

「結婚を認めてもらうために試練を課される」のは、難題婿と言われて、各地の民話によく見られます。ただ、男性が女性を得るために試練を受ける、という場合が圧倒的に多いです。

スサノオノミコトも娘をオオクニヌシノミコトに嫁がせる前に、数々の試練を課しましたね。

変身譚でもあるし、異類婚姻譚でもあります。

 

ところがこれとそっくりな話が、実は地球の裏側にあったのです!

 

ピンと来た方はおられますか?

 

「この二つ似てる!」と思って検索したのですが、日本語では見つかりませんでした。

でも一つだけありましたよ、「天稚彦草子」と「〇〇〇〇〇と〇〇〇」を比較した、フランス語の論文が(笑)。

私ごときが気付くものですから、他に誰も気づいていないわけはないのですが……。

 

次回は、地球の裏側にある、天稚彦草子にそっくりなお話について、お話ししたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

  • B!