皆さん今日は、珠下なぎです。
今日は前回に引き続き、天智・天武天皇の母であり、2度も帝の位についた斉明天皇と鬼との関りについてについてお話したいと思います。
斉明天皇は新羅討伐のため、息子の中大兄皇子らと共に、九州へ下ります。
その後、天皇は朝倉(現在の福岡県朝倉市、太宰府の南東5kmほどのところにある町)に移り住みます。
天皇のために、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)が築かれたのですが、日本書紀にこのような記述があります。
「斉明7年(661年)、5月9日、天皇は朝倉橘広庭宮にお移りになった。このとき朝倉の社(やしろ)の木を伐り払って、この宮を造られたので、雷神が怒って御殿をこわした。また宮殿内に鬼火が現れた。このため大舎人や近侍の人々に、病んで死ぬものが多かった」
朝倉橘広庭宮跡(引用画像:「ご来福」しよう https://goraifuku.jp/)
御年65歳とご高齢だった斉明天皇は、自ら軍を率いることはなく、そのまま7月、朝倉で崩御されます。
翌月、中大兄皇子はこのまま朝倉で喪の儀式を行いますが、ここにもこのような記述があります。
「8月1日、皇太子(中大兄皇子)は天皇の喪をつとめ、帰って磐瀬宮につかれた。この宵、朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた。人々は皆怪しんだ」
どちらにも鬼がどのような姿をしていたのかは書かれていませんが、鬼火と山の上で笠を着ていた鬼、というのはあまり同じような姿とは考えられませんね。
鬼、という言葉が古代においては様々な姿のものを指していたことの証左でもあるのではないでしょうか。
ちなみに日本書紀のこのシーンは、「遠の朝廷(みかど)にオニが舞う」の主要人物、鈴丸の出生までを描いた前日譚(出版未定)にも登場します。
一応未読の方のために説明しますと、鈴丸は表紙絵の左側に描かれている美少年で、主人公瑠璃子姫の従者で孤児、物語でも重要な役割を果たします。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。