映画『祝山』感想(ネタバレあり)

はじめに

皆さんお久しぶりです。たまなぎです。

初めての方は、初めまして。歴史ファンタジーを中心に物語を書いている、心療内科医の珠下(たまもと)なぎと申します。

色々多忙につき記事に間が空いてしまいすみません。

今日は、先日見てきました、ホラー映画『祝山』の感想です。

 

原作

『祝山』について簡単にご紹介。

『祝山』は2007年に光文社から出版された加門七海先生のホラー小説です。

加門七海先生は日本の呪術や異界にお詳しく、ホラー小説・怪談・伝奇小説などを数多く執筆されている人気作家さんです。(たまなぎと同じく鬼好きでもいらして、『加門七海の鬼神伝説』でたまなぎは七海先生を知りました)

 

『祝山』は作者の加門七海先生ご自身をモデルにしたホラー作家・鹿角南が主人公のホラー小説。

鹿角南の元に届いた、旧友からの一通のメール。廃墟での肝試しの後から奇妙な出来事が起こっているので相談したい、と。もともと面白半分で肝試しをするような人間は嫌いな鹿角先生ですが、執筆中の小説とネタが被り、しかも執筆が行き詰っていたこともあって、「参考になれば……」というくらいの気持ちで彼らに会いに出かけます。ところが、闇は思った以上に深く……。

さらなる狂気と怪異が彼らを襲い、鹿角先生も巻き込まれていきます。

「祝山」という名称に秘められた歴史、入らずの山。禁忌を犯すことの恐ろしさ。

歴史をたどるうちに鹿角先生は怪異を収める方法を発見しますが……。

 

それまでミステリー風味が強く、「謎が完全に解ける」系のホラー小説を好んで読んでいたたまなぎに、「一部分からないまま終わることの怖さ」をまざまざと見せつけてくれた、印象的なホラー小説でした。

 

映画『祝山』

小説『祝山』は2026年6月、橋本愛さん主演で映画化されました。

映画化の話を七海先生のX(旧Twitter)で知ってから、首を長くして待っていましたが、なかなか時間が合わず、やっと見に行けたのが7月5日日曜日。日曜日の夜にもかかわらず、観客は思ったより多かったです。

それでは感想。以下ネタバレありです。原作未読もしくは映画未視聴で、これから予定がある方は閲覧をお控え下さい。

 

全体を通しての感想

まず、作品全体の雰囲気は、とてもよく再現されていたと思います。

廃墟の不気味さ、全てを呑み込むような、得体のしれないものを内に秘めているような、忌み山の底知れぬ恐ろしい雰囲気。登場人物の一人、矢口さんの狂気の行動。

物語の筋も(改変はあるものの)、概ね守られていました。

主役の橋本愛さんも、知的でミステリアスな雰囲気を漂わせる主人公を好演。

矢口さん役の石川恋さんの狂気の演技には鬼気迫るものがありました。

それから、肝試しメンバーの一人、小野寺さんを、超特急の草川拓弥さんが演じていたのは知らなかったので、嬉しい誤算でした。草川さんといえばチェリまほの六角くんにみなしょーの湊くん! なんだかイケメン度が増したような気がします。おっと脱線。

 

これは映画ならではで良かった!と思ったところ

原作も十分想像力を掻き立てる怖さがあるのですが、やはり視覚化されると怖さが増します。いや、そう思わせる映像化は成功なのでしょう。

原作では、肝試しメンバーとの飲み会の後、小野寺さんが鹿角さんに廃墟の写真をメールで送りつけることになっていますが、映画では小野寺さんが直接鹿角先生の自宅に突撃。

勝手に個人情報を教えてしまう矢口さんの異常さも、メールアドレスより住所の方が際立ちますし、小野寺さんの行動に対する鹿角先生の恐怖もこちらが増します。

これは良かった。

また、小野寺さんが廃墟の木で変なオブジェを作って鹿角先生にプレゼントするくだりも、怖さと異常さが増していて良かった。

死因もバイク事故→店で自殺と改変されていましたが、これは鹿角先生と若尾さんが死体を発見する衝撃的な場面を作るので、これもまあいいかなと思いました。

概ね小野寺さん周辺は改変もあまり気になりませんでした。演者が草川だからじゃないですよ……

 

それから、ラストシーン近く、鹿角先生と矢口さんが位牌をむさぼり食うシーン。これも怖かった。ただ、後にも述べますが、矢口さんのキャラ、行動の変遷が少し納得いかないところがありましたので、物語の必然性からいうこと、ちょっと?マークを付けたくなるシーンでした。

 

一方、気になったところ

一方、気になったところも多数ありました。

 

矢口朝子のキャラ改変に感じた疑問

まず、矢口さんのキャラ。里美さんを介さない、中学時代の同級生という設定は尺の関係で仕方がないとは思ったのですが、過去のいじめエピソードは必要だったのでしょうか。

矢口さんというキャラの卑怯さや無責任さを描こうと思って作ったエピソードかもしれませんが、原作ではもともとの矢口さんは、愚痴っぽい所に辟易するところはあったものの「常識人だった」と鹿角先生は述懐しています。「常識人」が狂気に囚われる方が、「もともとちょっとおかしな人だった」より説得力が出るような気がするのですが……。

それから、原作では矢口さんは行動の異常さをエスカレートさせていき、最後に姿を消すのですが、映画では一時正気に戻ったように見えるエピソードもあり、これはちょっとブレたように見えました。個人の好みかもしれませんが、「一度とりついた狂気から逃れられないまま姿を消す」方が良かったような気がしました。

 

若尾木綿子はもう少し詳しく描いてほしかった

一方、矢口さんがキャラを膨らませられていたのと対照的に、背景を大幅に削られていたのが若尾さん。彼女は神道の古い家の出身で、根底に神々への畏れを持っており、鋭い感覚の持ち主。

ここがあいまいにされていたのは残念でした。

なぜなら彼女は肝試しに行った4人の中で、唯一「正気を保ち」「正しく怖がる」ことのできたキャラだから。彼女の感覚が正しいことを裏打ちするためには、出自はちゃんと示した方が良かったような気がします。

 

鹿角南とその先輩について

鹿角先生のイメージは大きく損なわなかったものの、たまなぎが一番疑問を感じたのは、鹿角先生のサポート役として出て来る「先輩」の存在。

かつてあり得ない遭難事故で妻子を亡くしたという過去の持ち主で、「祝山」の謎を解くのにも一役買います。

このキャラは原作には出てこないキャラなのですが、必要だったのでしょうか?

鹿角先生はオカルトや伝承のプロ。原作でも、祝山に関する資料は自分で見つけ出し、解決策を提示します。しかし、映画の鹿角先生はこの部分を先輩に担ってもらっている。

鹿角先生の大きな魅力であり能力でもある、この「伝承を調べる力」を外部のおじさんに移してしまうのは、「年配の男性に導かれる若い女性」のステレオタイプを描きたかったようにも見えて、ちょっとひっかかりました。

それから、鹿角先生の入院エピソードはどうしてカットされたのでしょうか。原作の鹿角先生のキャラを、映画の鹿角先生と先輩の二人に分け、先輩が最後に自殺するシーンを作ることで鹿角先生の入院エピソードに変えたのかもしれませんが、「先輩」のキャラ自体に違和感を感じたたまなぎとしてはここは変えてほしくなかったと思いました。

この入院エピソードも、「鹿角先生が巻き込まれる」重要なエピソードで、一人暮らしで救急車を呼ぶほどの苦痛、死の恐怖、描き方によってはかなり怖いシーンになりそうだと思ったのですが……。

 

小説の映像化について考えたこと

つらつらと思いつくままに書いてしまいましたが、原作の雰囲気や大筋を損なわずに映像化に成功しているという意味では、とても良かったと思います。

これをきっかけに七海先生のファンが増えてくれればもっと嬉しいですし、小説の読者の方には、是非映画を見て欲しいです。

 

しかし、小説の映像化というのは難しいものですね。原作のファンは「テーマに沿った改変なら可」「そうでないなら不可」としてしまいがちですが、どこが「改変してはならない部分」で「どのような改変なら許容できるのか」は、人によって異なるでしょうし、究極作者様にしか断じることのできない部分です。

ベルばらの映像化を巡ってファンの間で対立が起きたのも、こういうことだったのかな、と思います。

つらつらと述べたことも、たまなぎのただの感想に過ぎません。

他の読者の方も、作者の加門七海先生も、全く違う感想を抱かれたかもしれません。いつかお伺いする機会があればと思います。

ちなみに同行者(原作履修ずみ)は、「うーん、読んでない人がぱっと見る分にはいいかもしれないけど、やっぱ原作の方が面白かったよね」と言っておりました。

 

けれど、ジャパニーズホラーならではの陰鬱さ、得体の知れなさ、恐ろしさはよく表現されており、ホラー映画としてはお勧めです。ホラー好きな方、七海先生のファンは是非劇場へ!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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