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たまなぎブログ by LTA出版事業部

『大江山恋絵巻~人の巻~』こぼれ話①平安時代のトイレ事情

はじめに

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、おかげさまでご好評を頂いている、たまなぎ版酒呑童子『大江山恋絵巻~人の巻~』。

思わぬところに反響を頂きました。

それは、トイレ。トイレの描き方が非常に印象的だというのです。

 

冒頭、池田中納言の屋敷で茨木童子に驚いた女房が樋箱(室内便器)をひっくり返すシーンに始まり、この作品ではあちこちでトイレが象徴的に使われています。

この機会に、平安時代の姫君たちのトイレ事情について軽く解説すると共に、平安文学に描かれたトイレのご紹介、最後にたまなぎ作品中にトイレを描いた理由についてお話したいと思います。

 

平安時代の室内トイレ=樋箱

平安時代の高貴な姫君たちは、ほとんど屋外に出ることはありませんでした。

トイレについても、室内で用を足し、それを身分の低い者たちが処分しに行く、というのが一般的でした。

平安時代の姫君たちの衣装は、裾も長く、何枚もの重ね着をしていたたため、用を足すのは一苦労です。

尿意や便意を催すと、身の回りの者たちの手を借りて、室内にあるという室内便器に用を足します。これは、樋箱という、箱型の引き出しのようなものに取っ手がついているものや、壺の形をしたものなど様々なものがあり、用が済むと、その度に身分の低い者たちが中身を捨てに行き、便器を洗いました。

あの、外出時以外には床にずるずる引きずるほど長く、しかも何枚も重ね着する服を、トイレの時に汚さないようにするには相当大変だったし時間もかかったことでしょうね。早めに言わないと……(!)なんてこともあったかもしれません。

平安時代のトイレについての記録は多くはないのですが、様々な有名な文学作品に、トイレ関係の事情は断片的に記されています。

次の項では、たまなぎが読んだ平安文学にトイレ関係の記述があったもののうち、印象に残っているものをご紹介します。

 

 

文学作品に書かれたトイレ

源氏物語

源氏物語は恋愛小説ですから、トイレの記述は少ないのですが、トイレと縁のある、ちょっと変わったお姫様のお話があります。

主人公、光源氏の義兄でありライバルでもある頭中将は、源氏が疎遠になっていた美しい実娘を迎えたことを知り、自分にもどこかにそんな娘がいたはずだと探します。

こうして都に迎え入れられたのが近江の君と呼ばれる姫君です。

近江の君は頭中将の実の娘ではありましたが、田舎育ちで礼儀作法などを身に着けておらず、早口の癖もあって頭中将をがっかりさせます。

その頭中将に向けて、近江の君が言った、

「大御大壺取りにも、仕うまつりなむ」

「(現代語訳)トイレ掃除だって致します」

という言葉が、父の頭中将を呆れさせます。

何故なら、高貴の人の室内便器の中身を捨てたり、洗ったりするのは、身分の低いものの仕事だったからです。

近江の君は、上流社会のしきたりを知らないものとして、物笑いの種にされる役どころですが、身分が低い母から生まれた自分を引き取った父に感謝して自分に出来ることをしようとするとは、優しくけなげな性格が見て取れます。

また、愛嬌がある人だとも記述されています。『源氏物語』の中ではあまり有名でないキャラですが、私はこのキャラ、結構好きだったりします。

(『大江山恋絵巻~人の巻~』を読んで下さった方はニヤリとして下さい)

 

今昔物語集

もう一例、平安文学の中でトイレ関係が印象的なお話をご紹介しましょう。

これは、芥川龍之介『好色』の元ネタになっている話です。

 

兵衛佐(ひょうえのすけ)・兵中は、人柄も家柄もよくイケメンで、いわゆるモテ男でした。

ある時彼は、大臣の女房である侍従の君が大変美人だという噂を聞いて恋焦がれ、熱心に恋文を送りますが、侍従の君はけんもほろろ。散々な目にあわされて振られてしまいます。

兵中はいっそ、侍従の君の悪いうわさでも聞いて幻滅してしまえば思いきれるのにと思い始めます。しかし、そんな噂はなく、思いは募るばかり。そんな中で、ふとこんなことを思いつきます。

「そうだ、どんな美人といえども、出すものは一緒だ。出したものを見てしまえば、熱も醒めようというものだ」

いや、ヤバい奴ですね。いくらイケメンだって、ここまでいくと変●……。

しかもこの変●もといイケメンは、実力行使でそれを果たしてしまいます。

どうやったかって? 侍従の君の部屋から出てきた、室内便器を持って捨てようとしていた少女に襲いかかって、その室内便器をひったくったんです(マジでヤバい)。

ところが、なんと、侍従の君は兵中よりもさらに上手(うわて)でした。

便器の中には、黄色っぽい液体の中に、数個黒っぽい固形のものが浮いていたのですが、なんともいえずいい香りを放っているのです。

よくよく検めて見ると、尿に見せかけられていたのは、丁子(グローブ)を煮た液で、固形のものは香を焚きこんだ山芋に甘葛(平安時代に使われていた甘味料)で味をつけたものでした。

侍従の君は兵中の行動を予測して、このようなものを用意していたのです。

またしてもしてやられた兵中は、病の床に就き、やがて亡くなってしまったということです。

恋に夢中になりすぎるのはよくない……という教訓らしいですが、何ともやるせないお話ですね。

 

たまなぎはこのお話、高校の時に古典の先生から聞いて読んでみたのですが、強烈な印象を残すお話でした。

 

『大江山恋絵巻~人の巻~』とトイレ

たまなぎの作品『大江山恋絵巻~人の巻~』にも、いくつかトイレに関連した話が出てきます。

まず、冒頭、池田中納言の屋敷に茨木童子が現れた時、屋敷の者が奥に逃げようとして、樋箱(室内便器)をひっくり返すシーンがあります。

その後、姫がさらわれた大江山では、「用を足すのに別の建物がある」設定になっています。

なぜこういう設定にしたかには、三つ理由があります。

 

一つ、トイレというのは、衛生上非常に重要なものです。

というのは、様々な感染症=伝染病を引き起こす細菌やウイルス、寄生虫などには、「糞口感染」という感染経路を持つものが多くあるからです。

特に、下痢や嘔吐などの症状を起こす、消化器系の感染症の原因微生物には、この感染経路を取るものが多くあります。

これは、原因となった微生物が大便の中に排出され、それが別の人の口に入ることで感染が広がる、という感染経路です。

現代のようにトイレが完備されて他の生活場所と隔離され、皆が用便の後にしっかり手を洗う、という生活様式だと、感染は起こりにくくなります。

しかし、室内で用を足すことが日常化すると、用便の際に手などに原因微生物が付き、それが手を介して部屋の中の別のものに付着し、それを手で触った別の人の手に移り、食事の時などに食べ物と一緒に口に入ってその人が発症する……ということが起こりやすくなります。

たまなぎは、作品中の大江山を一種の「ユートピア」として描いています。

「ユートピア」には苦しみは少しでも少ない方がいい。抗生物質のない時代、少しでも病にかかって苦しむ必要の少ない、清潔で恵まれた環境として、大江山を描きたかったのがひとつ。

 

二つ目は、貴族社会との対比です。

室内で用を足す貴族社会では、さっき述べたような理由で、大江山よりも感染症が起こりやすいのはもちろんですが、それと同じく、「不浄なものを内包している」貴族社会を、主人公にとっての苦しみの象徴として描きたかったのです。

主人公は、権謀術数渦巻く貴族社会と、自分がその中に巻き込まれていくことに耐えられず、心の中で誰かに助けを求めています。人の心を踏みにじっても、権力欲を満たそうとする人の醜い心がむき出しになった場所、それが主人公にとっての貴族社会だったのです。

 

そして最後に、排泄の世話を自分でする、というのは自立の象徴でもあります。

これ以上言うとネタバレになるので控えますが、室内で用を足し、自分のことは何でもやってもらっていた主人公が、大江山で自立して生きる人々(中にはとある姫君も)と出会い、自分の手で生きることを学んでいく、その過程においても作品中でトイレは重要な意味を持っているのです。

 

まとめ

・平安時代の貴族の館には、現在のようなトイレはなく、姫君たちは室内便器で用を足すのが常であった。

・平安時代のトイレ事情は、いくつかの文学作品に描かれており、印象的なものもある。

・たまなぎの作品『大江山恋絵巻~人の巻~』では、3つの理由でトイレが象徴的に描かれている。

最後まで読んで下さって、ありがとうございます!

 

 

 

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