はじめに
皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます。
今回はたまなぎの新作『大江山恋絵巻~人の巻~』キャラ紹介最終回です。
おまけは、終盤で登場した敵キャラのみなさんのうち、作品中ではモブキャラとして扱われてしまった皆さんをご紹介します。
作品中で取り上げることはできませんでしたが、敵キャラの皆さんもそれぞれに背景を背負っており、非常に個性的な人々ですので、ぜひご覧下さい!
史実・伝説をご紹介していますが、酒呑童子伝説に触れたことのない方にとっては、作品のうっすらネタバレがあります。今から作品をお読みになる予定の方で、酒呑童子伝説をお読みになったことのない方は、作品の読了後にお読み下さいませ。
大江山襲撃に加わった人々
酒呑童子伝説の出典である、『大江山絵詞』及び『御伽草子』「酒呑童子」では、酒呑童子ら大江山の鬼は、帝の命を受けた武士たちによって滅ぼされます。武士の頭領は源頼光(みなもとのよりみつ)。
その下に「頼光の四天王」と言われる四人の家来がいます。碓井貞光、坂田金時、卜部季武、渡辺綱。そして、酒呑童子退治にはもう一人、藤原保昌が加わります。この人は頼光の家来ではなく、対等な関係だったと言われています。
『大江山恋絵巻~人の巻~』は鬼側から描かれた物語なので、鬼の敵たちについては、源頼光・渡辺綱の二名についてだけ固有名詞を持って登場させています。本日は、残りの四人、
①碓井貞光
②坂田金時
③卜部季武
④藤原保昌
についてご紹介したいと思います。
源頼光の四天王
碓井貞光
源頼光の四天王は、渡辺綱、碓井貞光、坂田金時、卜部季武の四人。渡辺綱については前回ご紹介しましたので省略します。それではまず、碓井貞光。
この方の名は、あまり耳慣れないですが、『今昔物語集』では、「源頼光の三人の家来の筆頭」とされています。なぜか『今昔物語集』には、渡辺綱の名がないのです。この方は単独でも毒蛇退治の功績を挙げていますが、実は頼光の四天王の他のある一人との絡みで有名なエピソードがあるのです。誰でしょう?
それは、このようなエピソード。
樵(きこり)に身をやつし、強い人材を求めて旅をしていた貞光は、足柄山である男児を見つけます。彼は熊と相撲を取るなど、大変な力もちでした。
貞光は彼を見出し、頼光のものとに連れていきます。彼は成長して後に、頼光の四天王の一人に加わります。
え?ちょっと待って? それってこれじゃ……?
♪まさかりかついだ金太郎♪
はい、正解ですっ!
「でも、源頼光の四天王の中に金太郎の名前なんてあった……?」と思った方。
実は、「金太郎」は幼名で、成人してからの名が「坂田金時」なのです。
坂田金時
源頼光四天王の中で、一番有名なのはこの方でしょう。前項でも述べたように、「坂田金時」という名にはなじみがなくとも、「金太郎」といえば知らない人はいないでしょう。
坂田金時という人物が実在したかどうかははっきりしていません。しかし、「金太郎伝説」というものは各地にあります。幼児向けの絵本などで流布している伝説に近い、静岡県駿東郡小山町の金時神社の伝説は次のようなものです。
金太郎は天暦10年(956年)5月に誕生した。彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供であった。八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、坂田が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにした。成長した金太郎は足柄山で熊[注 1]と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。
天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となった。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった。
(Wikipediaより金太郎 - Wikipedia)
『古今著聞集』や『御伽草子』によって、源頼光の四天王の一人として坂田金時の名が有名になると、江戸時代初期くらいか金時の幼少時の伝説が語られるようになります。幼少時の金時=金太郎の母が山姥であったとか、母の山姥が頼光に金太郎を託したといったものです。
これは後に能や浄瑠璃で繰り返し演じられるようになり、もともとの伝説になかった、金太郎の出生が異常なものだったというイメージが付加されていくのです。母が山姥だったというものの他にも、金太郎の母・八重桐と竜神との間の子であるとか、山姥と雷神との間の子だったというように、いくつかバリエーションがあるようです。
卜部季武
この方は単独でのお話は、『今昔物語』の中で、「頼光の郎等平季武、産女にあひし話」があります。
暗夜に平季武が馬で川を渡っていると、川の中程に産女がいて「これを抱け」と言って赤子を渡す。季武は赤子を受け取り、岸へ向かう。産女は「子を返せ」と言って追うが、季武は取り合わずに陸へ上がる。館へ帰って見ると、赤子は木の葉に変じていた。
このお話に出て来る産女は、出産で亡くなったという女性の霊で、「子供を抱いていてくれ」と声をかけてきます。受け取ると、その赤子がだんだん石のように重くなり、身動きが取れなくなるというものです。その赤子を平然と館まで抱いて帰って来たというのですから、並々ならぬ力持ちだったのでしょう。
この人も実在は不詳ですが、兵庫県宝塚市に伝わる松尾神社の縁起『松尾丸社縁起』によれば、坂上田村麻呂の子孫だということです。
藤原保昌
この方は、源頼光の家来ではありません。また、実在の人物です。武勇に秀で、源頼信・平維衡・平致頼らとともに道長四天王と称された人で、後に和泉式部の夫となった人です。この人の名前には聞き覚えはなくても、盗賊「袴垂」の話は、教科書などで読んだことがある人も多いのではないでしょうか。これは次のような話で、『今昔物語集』の一節です。
10月朧月の夜に一人で笛を吹いて道を行く者があった。それを見つけた袴垂という盗賊の首領が衣装を奪おうとその者の後をつけたが、どうにも恐ろしく思い手を出すことができなかった。その者こそが保昌で、保昌は逆に袴垂を自らの家に連れ込んで衣を与えたところ、袴垂は慌てて逃げ帰ったという。Wikipediaより 藤原保昌 - Wikipedia
たまなぎは中学校の時にこのお話を読みました。晩秋~初冬の寒い夜、盗賊に狙われているのに傲然と笛を吹き続け、盗賊に襲わせない気迫を持った謎の男。そのイメージは今でも頭にこびりついています。
まとめ
・たまなぎの作品中に鬼の敵として登場する6人のうち、固有名詞を持って登場するのは源頼光と渡辺綱以外の4人の紹介。
・坂田金時は昔話の金太郎、金太郎見出したのが碓井貞光。卜部季武は坂上田村麻呂の子孫で、産女から押し付けられた赤子を家にまでもって帰るほどの怪力だった。
・藤原保昌は頼光の家来ではなく、実在の人物。和泉式部の夫で、『今昔物語集』などに説話が残る。
最後までお読み下さって、ありがとうございました!