はじめに
皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、今回は『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(チェリまほ)』キャラの魅力、第6回。今回はサブカップルの一人、綿矢湊くんについてです。
実写版と原作版、湊くんの描き方の違い
実写版で描かれた湊くんの性的指向について
実写版でと原作版でかなり印象の違う湊くん。
どちらも、「バイトしながらダンサーになる夢を追う若者」であることは共通しているのですが、実写と原作版で大きく違うのは、実写版ではゲイというセクシュアリティが早くから明らかにされており、原作版ではそれがかなり遅くまで明らかにされないことでしょうか。
原作では湊くんの性的指向については、11巻で「過去に一度だけ男性を好きになったことがある」と初めて明かされます。ここでゲイもしくはバイセクシュアルであることがにおわされますが、はっきりとは書かれておらず、ドラマ放送時に発売されていた巻では湊くんの性的指向については言及がありませんでした。
実写版では、湊くんは実写版の中で唯一、「ゲイ」というマイノリティである性的指向が明らかにされている人物でした。これは、他の人物の性的指向の描き方も含めて、実写版のメッセージ性に大きく寄与しているのではないかと、たまなぎは考えています。
実写版での登場人物の性的指向の描き方とこめられたメッセージ
原作版では安達くん・黒沢さんは元々異性愛者であることが明らかにされていましたが、実写版では安達くんの過去の女性への片思いエピソードはカットされており、安達くんの性的指向については原作よりもあいまいにされていました。
実写版には性的指向が明らかにされていない人物(安達くん・柘植先生)、性的指向が変化しうる人物(黒沢さん)、アセクシャルの女性(藤崎さん)が描かれ、性的指向の多様性が強調されています。
そのことにより、様々な恋愛の形を、「恋愛しないことも含めて」容認する、現代らしい優しいドラマになっているように思います。
その一方で、湊くんのようにマイノリティである人物を一人、はっきりと描き出すことで、社会派ドラマとしてのメッセージを打ち出してドラマ全体を引き締めていると思うのです。
つまり、「いわゆるLGBTQであれ、マジョリティとLGBTQのどちらに属するかあいまいな人であれ、マジョリティであれ、様々な恋愛の形があり、誰もが自分の性的指向に従って幸せになるべきである」ということ。
湊くんと真逆ですが、実写版のオリジナルキャラ・浦部さんの存在もそのために作られたんじゃないかという解釈も成り立つんじゃないかと思っています。
浦部さんは安達の先輩で(意外と)愛妻家。つまり、マジョリティ側の人間です。
(そもそも安達くんが一人で残業を引き受けて、黒沢さんの家に泊まることになったきっかけって、浦部さんが結婚記念日なのに残業を押し付けられそうになって、泣きそうになってるのを優しい安達くんが引き受けてあげたせいでした。原作版では単に課長の横暴でしたが)
つまり、マイノリティ側の人物だけに焦点を当ててマジョリティを逆に否定する形にならないように、「マジョリティであり自分の恋愛(浦部さんはもう結婚していますが)を大切にして幸せになっている人物」をあえて描いたのではないでしょうか。
湊くんの孤独と柘植先生との恋
原作と実写、湊くんの孤独の描き方の違い
この湊くんは、ドラマ版でも漫画版でも、チャラそうな見た目に反して、深い孤独を抱えた人物だと、私は思っています。
けれどその孤独の描き方が、セクシュアリティのことも含めて、原作版と実写版では大きく違っていると思うのです。
湊くんは、大学時代にダンスに打ち込み、大会に出るレベルまで頑張ります。
大学時代にデビューすることはかないませんでしたが、同じダンスサークルの仲間が次々と就職を選ぶ中、あえて就職せず、宅配便のバイトを続ける傍ら、デビュー目指して練習に励みます。
この、「バイトを続けながら夢を追う」というのは、想像以上に苦しく、また孤独なものです。
原作でも実写でも、柘植さんは湊くんにこう言っていましたね。
「無駄に年を取り続けることへの将来への不安、己の才能への不信感、社会に属していないゆえの恐怖はよくわかる!」
柘植さんにも売れない時期があり、まっとうに働いている安達くんを見ているのが辛くて、会うのを避けていた時期もあったと。
社会とつながれない孤独、将来への不安。
バイトしながらダンサーを目指すこと自体の湊くんの孤独は、原作の方がより深く描かれているように思います。
原作では、六角くんと湊くんは、柘植さんに連れられて豊川の新商品のモニターに参加するまで、連絡さえとっていなかったようです。
柘植さんが察したように、湊くんは六角くんを避けていたようです。
「こんなでかいビルでスーツ着て働いてさ。今更俺なんかとつるまねえよな」と寂しそうに笑う湊くん。
大企業の社員として日の当たる世界で生きている六角くんと、バイトの配達員でしかない自分の差に、やるせなさを感じているのがよくわかります。
六角くんは六角くんで、就活の忙しさを理由に大会前にダンスをやめたことで、湊くんに後ろめたさを感じていたようですね。
一方、実写版では、ダンスに関しては今でも続けている仲間もおり、ダンスをやめた六角くんも今でも湊くんを応援しているなど、バイトしながら夢を追うこと自体の孤独は、原作版に比べて深いとは言えないかもしれません。
(もっとも、元彼のケイタくんのように、「やっぱり就職選んでよかったわ」と湊くんがダンスを続けるのをバカにする存在に傷つけられる場面はありましたが。ちょっと脱線ですが、このケイタくん、その一方で湊くんとよりを戻そうをもくろむんですよね。この人謎だ……)
けれど、湊くんはドラマではゲイの設定。
性的マイノリティであることを引け目に思い、せっかく分かり合えたと思った柘植さんからも離れようとする湊くん。
正社員ではなく、バイトであるという、社会人としてのマイノリティ的要素。
そして性的にもマイノリティである。
ドラマ版では、二重の意味でマイノリティであることで、湊くんの孤独が強調されます。
もっとも、湊くんが「男性を好きになったことがある」と原作で明かされたことで、原作でも湊くんはゲイもしくはバイセクシャルであることが分かります。
ですから、現時点では湊くんの孤独はダンスを続ける上でも性的マイノリティとしても、原作の方がより深く描かれているといえるかもしれません。
同じ痛みを持つ者同士の恋
そんな湊くんに過去の自分を重ね、いつも湊くんに寄り添い、時に背中を押してあげる柘植先生はとてもカッコいいです。
柘植先生と出会って湊くんは、六角くんたち昔の仲間の応援を再び得ることもできましたね。
柘植先生は、湊くんを庇うために踊れもしないダンスにチャレンジして足を絡ませて転んでしまったり、筋トレを頑張ってしまったり、不器用ながらも一途な愛情がとても魅力的です。
かつて柘植先生も湊くんと同じように孤独に悩み、親友である安達くんさえも避けていた。過去の痛みと同じ痛みを、湊くんの中にみたのでしょう。
特に柘植先生が最高だったのは、原作7巻の、原付がエンストして立ち往生してしまい、オーディションに間に合わなくなりそうであきらめかけた湊くんを、バイクで迎えに行く場面。
「俺は君自身が諦めない限り、いつかきっと夢をかなえると信じている!」
こんなこと言われたら一発で落ちてしまいますよ、私なら(笑)。
原作は今、両想いになった後、柘植先生が湊くんに魔法の力を告白し、一時ぎくしゃくするも再び心を結び合ったところ。これから先の展開も見のがせませんね。
さいごに
湊くんの性的指向と孤独について、原作版と実写版を比較しながら考察しました。この件に限らず、実写版のこの作品は、原作に完全に忠実ではないにしろ、原作を深くリスペクトしており、時にはより深く社会的テーマを掘り下げています。
もちろん原作は原作で、実写版では描き切れなかった心の機微が丁寧に描かれており、実写版よりも繊細な作りになっています(もちろんオリジナルということだけで素晴らしいのですが)。
違いがありながらもどちらもそれぞれに素晴らしいと思える。こんな作品にはなかなか出会えないのではないでしょうか。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!