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たまなぎブログ by LTA出版事業部

チェリまほ11話ネタバレあり感想と考察~心理学の立場から

はじめに

みなさん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今日は久しぶりにチェリまほ記事。

チェリまほ11話放送3周年を記念して、2年間に書いた、「チェリまほ11話についての、心療内科医としての考察」記事(こちらはamebloに掲載)をつぶやきましたら、思った以上に反響がありました。

古い記事でもあるので、大幅に加筆修正し、新たにたまなぎブログに載せることに致しました。少し長いですが、どうぞご覧下さい。

以下ドラマのネタバレを含みます。これから視聴する予定のある方は閲覧をお控えください。

 

 

二人の別れ、ドラマ版と原作版の違い

チェリまほ11話のラストで、紆余曲折の末にやっと両想いとなった主人公・安達清と、同僚の黒沢優一は、いったん別れを選択することになります。

きっかけになったのは、安達が黒沢に、「30歳になってから、触れると人の心が読める魔法を使えるようになった」ことを黒沢に告白したこと。

ところが原作では、ドラマと異なり、二人は別れを選択することはありませんでした。

 

ドラマでは、どうして二人が別れを選ばざるを得なかったのか?

7年間も安達に片思いし、安達からの告白を受けて、「逃げ出したくなっても、もう離してあげられない」とまで言った黒沢が、どうして「俺たち、もうここでやめておこうか」などと言ってしまったのか。

 

チェリまほファンの皆さんやライターの方たちの間で、様々な憶測や感想が生まれるきっかけになりました。

 

断っておきますが、私もその全てを読んだわけでもありませんし、心療内科医の視点から見ているからこれが絶対に正しい!などと言えるものではありません。あくまで一つの見方にすぎません。

 

人の心は立体的なもの。切り口が異なれば見方も異なります。また、視点を一つに固定して、「切る」ことが、正しいわけでもありません。

ある視点から見ると、このような形にも見えるのではないか?というだけの話です。

以下、チェリまほ11話のラストシーンを、私なりに解釈した感想です。

 

 

図らずも陥ったダブルバインド

ダブルバインドとは

少し心理学に興味を持ったことがある方なら、「ダブルバインド」という言葉をお聞きになったことがあるかもしれません。

アメリカの文化人類学者・グレゴリー・ベイトソンンによって提唱された概念です。

ダブルバインド=二重拘束とは、「相反する二つのメッセージを出され、しかもその矛盾を指摘できない状態に置かれる」ことです。

よく例に出されるのは、子どもが悪いことをした時、「正直に話せば怒らない」と言っておいて、話したらやっぱり怒られる、というもの。これをされると、子どもは次に同じ状況になった時、「正直に話しても話さなくても怒られる」ことになり、身動きがとれなくなってしまいます。

また、これは、パワハラやモラハラの現場で、意図的もしくは無意識的に行われることもあります。

例えば、上司に「細かいことを報告するな、自分で考えろ」と怒られたため、次回に黙っていたら、「全部報告しないと分からないだろう」とまた怒られる。

ドラマ版の安達役・赤楚衛二さんの主演映画「ゾンビになるまでにしたい100のこと」を見た方は、主人公が勤務していたブラック企業を思い出して下さい。

「自分で考えろ!」と怒鳴られた次の瞬間には、「勝手に決めんなよ!」と怒鳴られている。アレです。

モラハラの現場では、「いちいち言うな、言わなくても分かる、うるさい」と切れられた後に、「口に出して言わなきゃ分からないだろう」とまた切れられる。

明らかに矛盾しており、理不尽です。

言われた側が相手の矛盾を指摘できる状況にあればいいのですが、モラハラやパワハラの現場では、言われた側が下の立場に置かれていることがほとんどで、その矛盾を指摘することができず、思考力を奪われて萎縮してしまうのです。

加害する側はこのことを意識的もしくは無意識的に分かっています。そして、相手の思考力を奪い、自分の支配下に置こうとするのです。

 

 

11話で偶然生まれてしまったダブルバインド

11話の場合はどうでしょう。

もちろん、安達と黒沢の間には上下関係など存在しません。これは、ダブルバインドが偶然生まれてしまったことによる悲劇なのです。

安達は、魔法の力を使い、寺島部長に評価されたことで、「ズルをした」と自分を責めます。そこで、「魔法がなくなればいい」と、黒沢との関係を進めようとします。黒沢に対して、「関係を進めたい」というメッセージがここで出されます。ところが直後に安達は黒沢を払いのけて、魔法のことを告白します。ここで出されるのは、「魔法を失いたくない=関係を進めたくない」というメッセージ。

黒沢はダブルバインドの状態におかれてしまいます。

そして、この場合、どちらを選んでも安達は傷つく。それは黒沢にとって、自分が傷つくよりもさらにつらいことです。

それではいっそ、第三の選択を、と、黒沢らしくない選択をしてしまいます。

冷静に考えれば、12話で言っていたように、「魔法は関係ない」と言えたはず。

しかし、ダブルバインドの状態に置かれたことが、黒沢の判断を狂わせたのです。

あるいは、関係を進めれば安達だけが傷つき、進めなければ2人とも傷つくと考え、あの選択をしたのかもしれません。

 

そして安達自身も、自分が出したメッセージによってダブルバインドの状態に置かれ、ただ黒沢の提案にうなずくしかできなかったのではないでしょうか。

 

 

ダブルバインドからの回避法と黒沢の選択

黒沢は優秀な営業マンで、しかもその美貌と有能さで、人のやっかみを買いやすい環境にあります。

ですから、今までも、ダブルバインドを用いて自分を支配しようとする上司や取引先に会ったことはあるでしょうし、そのかわし方も心得ていたはず。

ダブルバインドのかわしかたには、「第三者に相談する」「問題を組織全体のものとして共有する」など色々ありますが、周りに相談できない場合、「第3の選択肢を探る」があります。

黒沢がしてしまった「別れる」という選択は、まさに第3の選択。しかし、間違った選択です。

ダブルバインドのかわし方をある程度心得ていた黒沢だからこそ、第3の選択を用意してしまったのかもしれません。

しかし、ダブルバインドによって思考力を大幅に奪われた彼は、第3の選択でありながら、間違った選択をしてしまったのです。

 

原作とドラマの黒沢の性格の違い

ameblo記事では何度も考察しましたが、ドラマ版と黒沢の性格はかなり違います。

いや、どちらも同じ黒沢なのですが、原作の黒沢は光の部分、ドラマの黒沢は影の部分が濃く描かれています。

安達への恋心に対しても、黒沢はA「初めて恋をして嬉しい、関係を進めたい」という気持ちと、B「こういう気持ちはあってはならない」という矛盾した思いを抱えていますが、原作ではAの思いがより強く、ドラマではBの思いがより強く描かれます。

これも、11話での選択に大いに関係していると思われます。

11話放送後、チェリまほ原作者の豊田悠先生は、当時のTwitterで、「俺は安達がどんなに苦しんでいても別れてやれない」と泣く黒沢と、そんな黒沢をよしよししつつ、ドラマの自分を心配する安達のイラストを上げておられましたね。そのとおり、原作の黒沢は、絶対にあんな選択はしないでしょう。

 

 

ドラマ上の演出として作られた? ダブルバインドと11話

二人が別れを選択したのは、偶然生まれたダブルバインドという異常な事態によるものです。逆に、そうでなければ、二人は別れを選択することなどなかったはず。

原作では、安達は「魔法の力を隠していることへの罪悪感」のみから黒沢に魔法の力を打ち明け、黒沢は驚きはするものの、「魔法の力のおかげで安達が自分の気持ちに気付いてくれた」ことに喜んで、安達の告白をすんなり受け入れています。

安達も、「黒沢に嫌われたら怖い」という気持ちはあるものの、ここで自分から別れるという選択肢は持っていません。

 

ドラマにおいて、安達がダブルバインドのメッセージを黒沢に送るには、「コンペでの失敗」「黒沢と関係を進めれば魔法の力もなくなることを安達が知っている」という二つの条件が絶対に必要でした。

もしかして、脚本家の方は、この別れのシーンを書くために、原作にはないコンペというエピソードを作り、柘植に先に脱魔法使いさせたのでしょうか?

恋愛ドラマにおいて、最終回前に一度主人公カップルが別れるというのは定石のようですが、もしかしてチェリまほもその定石に従って書かれたのでしょうか?

11話の別れのシーンのために、逆算してすべてのエピソードが組み立てられていたのかな?

そんなふうに思ってしまった次第でした。皆さんはどう思われましたか?

 

 

ダブルバインドについての補足

それから、ダブルバインドについて一点補足。

ダブルバインドは、モラハラやパワハラの加害の現場でよく使われると書きましたが、悪いことばかりではありません。

私は研修医時代に催眠療法をちょっとかじり、今でもたまに患者さんに催眠をかけることがあるのですが、催眠の現場では治療のためにダブルバインドを使うことがあります。

それは、患者さんに選択肢を与え、「どちらを選んでもプラスになる」という体験をさせることです。

たとえば、導入部分で「両手両足から力を抜いてください(現実はこんなに簡単ではありませんが)」という意味のメッセージを出すとします。

患者さんがうまく力を抜ければ、「次の段階に進めます」というプラスのメッセージを与え、逆にうまくできなくても「今、あなたの体は力を抜く準備をしているので、あなたが一番いいと思うタイミングで力を抜くことができます」というメッセージを出すのです。

催眠療法だけでなく、心理療法におけるコミュニケーションの現場では、ダブルバインドは良い意味で使われることも多いのです。

 

 

おわりに

たまなぎブログを始める前、たまなぎはamebloでチェリまほについての考察記事を沢山書いています。

こちらの記事に反響があれば、アニメ化を前に、たまなぎブログへの再掲も検討したいと思っています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

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