皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
長く続いた八女津媛シリーズは終わり、今回はちょっと神功皇后シリーズに戻ります。
神功皇后に関する史実を調べていくと、一見華々しい生涯を送ったように見える彼女ですが、怨霊神として扱われていたことが分かります。
彼女がなぜ怨霊になったのかは想像の域を出ませんが、こちらで詳しく考察していますので、未読の方はまずこちらをお読みください!
皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。 今日も来て下さって、ありがとうございます! 今回はいよいよ、「神功皇后は結局怨霊神だったのか?」その最大の謎に迫ることに致しましょう。 前回、前 ...
福岡の勅祭社・香椎宮⑥神功皇后は怨霊神なのか?
そして先日、福岡市香椎に残された神功皇后の「兜塚」「鎧坂」、そして「御島神社」に行って参りました。
いずれも神功皇后の伝説の残る場所ですが、行ったら出る出る!神功皇后の祟りの痕跡が!
では、当時の神功皇后の足跡どおりにめぐってみましょう。
1.御島神社
こちらは、香椎浜と人工島の間の海の中にある神社です。先日ご紹介した、凱旋の地・名島からそう遠くない場所にあります。祭神は綿津見(わだつみ)の神。神功皇后と縁の深かった海の神です。
鳥居がこちら↓
祠は少し離れた場所にあります。
日本書紀によると、神功皇后はこの場所で、海の神に向かい、こう祈りました。
「私は神様のお告げどおり、祖先の霊を頼りに今から海を渡って西を討とうと思います。もし神様のご加護があれば、今から海に入って髪を洗いますので、髪がひとりでに分かれて二つになりますように」
神功皇后が海に入ると、そのとおりに髪がひとりでに分かれて、左右の神を耳の横で結い上げた男性の髪型になりました。そこで、この場所を「片男佐」と呼ぶようになったということです。消えかかっていますが、橋の横に由緒を書いた看板があります。
2.鎧坂
この場所は、香椎浜からやや内陸に入った場所にあります。片男佐で男装した神功皇后が鎧をつけたという場所。駐車禁止の看板のあるあたりまでの坂だけでなく、石碑のある場所から600メートルを鎧坂と言っていると石碑に書いてありますので、かなり広い範囲だったと分かります。
鎧坂の住所は、福岡市東区香椎駅前3丁目33です。注意してみていないと見のがしやすいので、行く方はご参考に。
そして、この場所にありました! 祟りの伝説。
「ここは参勤交代の場所には、落馬すると死ぬ坂と言われた忌地だった。今でもこの坂を通ると祟りがあると地元では言われており、近くに小学校があるが、通学ではこの坂は通らないそうだ」(御島神社・濱男神社・かぶと塚(福岡市)・福岡地域別探検 (yado.co.jp)
「昔は、ここでは下馬しないと落馬すると言われており、恐れられていました」(香椎ガイド.indd (fukuoka.lg.jp))
げえええ、訪れた時は知りませんでした(汗)。
小学生も通らないってすごすぎませんか(汗)。
この坂は、旧道と三号バイパスがY字のように分かれた、その間にあります。ですから、ここを通らないと、一度合流点まで遠回りしないといけないんですよ。しかも、車が入れないので小学生には安全な場所なんです。(下の図のように、祟りの場所とされている鎧坂は黄色のマークアップされた場所と思われます。この場所を避けて、画面右手から小学校に登校するには、青の矢印のように大回りしなければなりません。
それなのに、朝の忙しい時間に小学生が通らないって……。交通事故よりも怖い、神功皇后の祟り 。
さらに、さらに!怖いのはこれだけではありませんでした!
「鎧坂の石碑」から「兜塚」までをグーグル先生に道案内してもらうと、例の場所(赤いマークアップの場所)を避けて行くんです……! ここを通れば近道なのに……!
グーグル先生にも避けられる鎧坂……!(まあ、実際のところは、この場所は車が通れないので、道として登録されていないのでしょうが)
確かにたまなぎがこの場所を訪れた時も、通っている人はいなかった気が(汗)。
時間があまりなかったので、坂の下から写真撮るにとどめておいて良かった(ほっ)。
前回ご紹介した「神功皇后の祟り」は近畿でのお話。
ここは、遠く離れた福岡。
「神功皇后は祟る」というのは、全国共通のようです。
このまま兜塚までご紹介しようと思いましたが、ここにもまたまたすごい祟りの伝説がありまして。
長くなるので次回に譲りたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!