皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、本日からは、以前もTwitterで少し取り上げた、八女津媛の出生の謎について。
以前Twitterでも書いたとおり、今年の4月、八女市の郷土史家の方が書かれた本『奥八女 矢部峡谷の棚田考』(牛島頼三郎著,梓書院,2020年)の中に、「八女津姫誕生秘話」として、こんな記述を見つけたのです。
日向の神(瓊瓊杵尊)は奥八女(今の矢部村付近)を通りかかられた時、奇岩が屹立する峡谷に目を止めて降り立たれた。この地を日向神(ひゅうがみ)の里と名付け、大山津見神に歓待され、娘の木花咲耶姫を妻にして、火闌降命(ホスソリ=海幸彦)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)、火明命(ホアカリノミコト)の三神をもうけた。やがて成長すると海幸彦・山幸彦は日向に帰られたが、火明命は日向神の里にとどまり、地元で一番美しい月足姫と結婚して生まれたのが八女津媛である。
これが本当なら大事件です!
なぜなら、八女津媛は大変謎の多い神様だからです。祖神が誰かなど分かっていません。たまなぎはこの謎を追うことに致しました。
1.八女津媛についておさらい
八女津媛については、正史に残る記録はごくわずかです。
『日本書紀』の景行天皇の段に、景行天皇が美しい山々を眺めて、「あの山に神がいるのか」とおたずねになり、それに対して水沼県主猿大海(みぬまのあがたぬしさるのおおみ)が「八女津媛という名の女神が、常に山中におられます」と答えた、というだけです。
また、福岡県久留米市の赤司八幡宮の縁起として、『大城村誌』には、「景行天皇が巡行された時、田心姫(たぎりひめ)の荒魂が八女津媛となって現れた」とあります。
以前こちらの記事で取り上げました。
皆さん今日は、珠下なぎです。 今日も来て下さって、ありがとうございます! さてさて先日の休日、以前からずっと行きたかった八女津媛神社に行ってきました! ここは筑紫の君磐井のふるさと・八女 ...
八女津媛神社①~山中の古い女神を祀る神社
皆さん今日は、珠下なぎです。 今日も来て下さって、ありがとうございます! さてさて今日は八女津媛神社の続きです。 八女津媛とはいかなる女神だったのか? 日本書紀には、「景行天皇が九州に巡 ...
八女津媛神社②~八女津媛は怨霊神か?
また、地元の古代史研究家・綾杉るな先生のブログにも、詳しい記述があります。
赤司八幡神社(4)景行天皇と猿大海と八女津媛 : ひもろぎ逍遥 (exblog.jp)
しかし、文書に残っているものはこの程度。ルーツは不明の神様なのです。
現在は八女津媛神社に祀られ、地元の信仰を集めています。
2.「八女津媛誕生秘話」の由来は?
この「八女津媛誕生秘話」が、正史に現れず、地元にひっそりと伝えられてきたなら、大発見です。
しかし、この「八女津媛誕生秘話」には「創作と伝説を織り交ぜ……」と但し書きがあったのがひっかかりました。
根拠となる伝説は何なのか。どこまでが伝説でどこからから創作なのか。たまなぎが気になっていると、本を紹介してくれた方が、著者の方とお知り合いとのこと。
その方を通じて問い合わせたところ、大変丁寧なお手紙とともに、真相を知ることができました。
結論から言いますと、「八女津媛の誕生については創作で、月足姫は、地元の『月足』という地名から名づけた架空の人物」とのことでした。
しかし、「日向の神々」=瓊瓊杵尊らについては、確かに地元に伝わる伝説・資料があるとのことでした。それがこちら。
『日向神案内助辨』(ひゅうがみあんないじょべん)。
こちらは宝暦12年(1762年)、三池禅師・晨夕(しんせき)という人物が記した書です。
奇岩が多く、当時でも名所であった日向神の、今で言えばガイドブックのようなもの。
見るべき名所を、地元に伝わる伝説とともに紹介しています。
大変面白く、正史にはない瓊瓊杵尊・木花咲耶姫、そのお子らのお話が載っています。
中でも有名なのは、こちら、蹴洞岩。
見上げるほどの大きな岩の中に、ぽっこりと穴が開いています。
実はこちらも、瓊瓊杵尊・木花咲耶姫らにまつわる伝説があるのです。
異説もありますが、いずれも天孫に関わるもの。
次回の記事では、『日向神案内助辨』より、知らざれる伝説をご紹介しようと思います。
また、「八女津媛誕生秘話」自体は創作でしたが、八女津媛信仰には大変興味深い歴史があり、牛島先生が日向神伝説と八女津媛信仰を結び付けられたのも、完全な空想というわけでもなかったのです。こちらについても後日取り上げようと思います。
貴重な資料をお送りくださった牛島先生、牛島先生をご紹介下さった方、本当にありがとうございました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!