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たまなぎブログ by LTA出版事業部

日本史上初の「愛国者」大伴博麻とは①~ゆかりの地・八女市上陽町を訪ねる

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

拙著『遠の朝廷にオニが舞う』。こちらの続編に必要な資料を探すため、私は先日、福岡県八女市への取材を企てました。

八女市立図書館のHPを漁っておりましたら、八女市立図書館にはいくつかの分館が存在することを発見。

その中の一つの説明が私の目を引きました。

八女市立図書館の「上陽分館」には、他に例のない「大伴博麻(おおとものはかま)」についての資料があるというのです。「大伴博麻」といえば、白村江の戦いで捕虜になり、その後の犠牲的愛国精神で知られる人。『遠の朝廷にオニが舞う』のストーリーと直接関係はないのですが、これはぜひ訪ねてみなければ!と車を飛ばして乗りこみました。

すると、思った以上に色々な収穫があったのです!

特に、現地の方にお話を伺うことが出来たのは大変貴重な体験でした。

正史には載っていない、地元での伝説などもうかがうことができました。

 

1.大伴博麻とは

大伴博麻。『日本書紀』持統天皇4年(690年)に一か所だけ登場する人物は、一般的にはあまり認知されていないかもしれません。

この人は、筑紫国上陽咩郡(今の八女市上陽町)の出身で、白村江の戦いに参加します。

『日本書紀』には軍丁(いくさよぼろ)とあることから、さほど高い身分ではなく、徴兵された一兵卒だったと考えられます。

ところが、日本が戦いに敗れた際、唐軍の捕虜となって長安に連行されてしまいます。

その頃、長安には同じく白村江の戦いで捕虜になった筑紫の君薩夜麻、留学生で捕虜となった氷蓮老(ひのむらじおゆ)ら4人がいました。

天智天皇3年(670年)、唐が日本侵攻を企てているという噂を耳にし、何とか祖国に知らせたいと思いますが、帰国の費用がなく、博麻は自らの身を奴隷に売って、4人の帰国の費用を用立てます。

その後、彼は持統天皇4年(690年)になってようやく帰国を果たし、持統天皇からこのような言葉と一緒にたくさんの褒美をもらいます。

朕嘉厥尊朝愛國賣己顯忠(朕は、その朝廷を尊び国を愛して、自分を売って忠誠を示すことを歓ぶ)。

これは、「愛國」という言葉が最初に正史に登場する場面です。

 

2.博麻のふるさとで出会った絵本~軍国主義の中で

けれど、彼に関する正史の資料は、『日本書紀』の一か所だけ。それ以外の資料があるというなら、ぜひ見たいと思い、八女市立図書館・上陽分館を訪れます。

ここは公民館の中にある小さな分館。すると、郷土の資料の中に、きれいに保存された古い絵本を見つけました。それが、これです。

 

これは、子ども向けに易しく、物語ふうに博麻の生涯を描いたもの。

語り手である著者が、博麻の故郷である八女を訪れ、地元の人から聞いたお話を本にした、という体裁で書かれています。

昭和17年、戦争の真っただ中とあって、かなり脚色され、軍国主義的な美談に仕立てられています。背表紙にも、「少國民のための傳記」と書かれています。

ただ、絵も文章も大変美しく、かなりの労力をかけて作られていることが分かります。

 

①唐の侵攻計画を知った博麻が、奴隷に身を売る場面。

 

 

②帰国を果たした博麻が、余生を兵の訓練に費やす場面。

 

③病のために訓練ができなくなった博麻が、愛用の軍袴を淵に沈める場面。

 

3.この絵本は史実か創作か?

私が気になったのは、前項の②と③の場面。

これらはもちろん『日本書紀』には記述のない内容です。

もしかして、地元にしか知られていない伝説があるのか? それとも、作者の創作なのか?

図書館の司書の方に尋ねました。すると、「私は分からないのですが、こういうのは館長がくわしいかもしれないので……」と館長さんを呼んでくださいました。

わざわざ出てきて下さった館長さんに同じことを尋ねると、「近所に詳しい方がおられるから呼んでみましょう」と、電話して下さいました。え? いいんですか? 遠方から来たマニアックな変人のために、わざわざ地元の方をお呼び立てして。

待つほどもなく、地元の年配の方が来られ、大変丁寧に教えて下さいました。

なんと、この絵本に登場するところの「地元の人」の義理のお孫さんに当たられる方だとか。

捨てられそうになっていたこのご本をきれいにカラーコピーして保存したのもこの方だそうです。

 

②のエピソードについては、「だご道」という地名が、正式な地名ではなく地元の通称として残されているそうです。ただ、絵本にあったように博麻が訓練をしたかどうかは不明で、その方は「寄合」=「談合」の場だったのではないかと考えられているということでした。

③のエピソードについても、それらしい淵は実際にあるそうです。ただ、「はかま淵」ではなく、「がまん淵」と呼ばれているそう。③のような伝説が実際にあったかどうかは分からないが、なかったと言いきることはできないとのことでした。

 

4.大伴博麻の碑

上陽分館からほど近い、北川内公園というところに、大伴博麻の碑があります。

これは1863年、幕末、尊王攘夷の機運が高まり、国学が盛んとなった流れの中で建てられたそう。

背面には『大日本史義烈伝』から博麻についての記述の全文が彫られています。

 

 

碑は町を見下ろすように建てられています。

 

いきなり現れた、どこの馬の骨とも知れない人間に、丁寧に地元の伝説を教えて下さった地元の方、館長様、図書室の司書の方、本当にありがとうございました。

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

八女は本当に人が優しく、食べ物もおいしくてとてもいいところです。

 

ちなみに、大伴博麻は、平成初期に一世を風靡した古代ファンタジー『宇宙皇子』にも登場します。(私が博麻を知ったのはこの小説でした。この小説中で博麻がどのように描かれているかを知りたい方はこちら)

筑紫の君磐井その3~電子書籍にまつわるエッセイその㉙ | 物語る心療内科医・珠下なぎのブログ (ameblo.jp)

 

それでもまだまだ沢山の謎の残る人物、大伴博麻。次回の記事では、その謎について考察したいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

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