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たまなぎブログ by LTA出版事業部

「鬼すべ神事」の真実に迫る①~鬼すべ堂へ

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さてさて前回までの記事でご紹介した、福岡県筑紫野市に伝わる、鬼すべ神事にまつわる怖~い昔話。

それが、日本各地に語り伝えられる「異人殺し」なのかどうか。それを検証するために、先日、太宰府市を訪れました。

日本三大火祭のひとつに数えられることもあるという「鬼すべ神事」。

この舞台である「鬼すべ堂」を訪れれば、何か分かるかもしれない。そんなふうに考えたからでした。

さて、鬼すべ神事の真実は明らかになったのでしょうか?

どうぞご覧下さい!

 

1.鬼すべ堂へ

鬼すべ堂は、太宰府天満宮の一部ですが、非常に分かりにくい場所にあります。

天満宮の方から行くと、天満宮から九州国立博物館方面へ抜ける広場を、九州国立博物館を正面に見て、左手へ向かいます。

ここには「だざいふゆうえんち」というレトロな遊園地があるのですが、その周囲をぐるりと回って裏手に出ると、細い道路に出ます。この道路を右方向に、ゆるやかな坂を上っていくと、壁の一部がない、不思議な形をしたお堂が見えてきます。

これが鬼すべ堂です。前には、ちょっとした運動場くらいの広さの広場がありました。

 

近づいてみると、かなり大きいです。見ても分かるように、正面両側には壁がなく、自由に出入りできます。1月に神事が行われたばかりですから、神事に使われた木の燃えさしが積み上げられていました。写真では分かりませんが、木の燃えた臭いが、まだ生々しく残っていました。

 

壁がなく、自由に出入りできる状態でしたので、ちょっと中まで失礼。

正面の壁の裏側に祭壇があります。

 

鬼すべ堂の最奥、ちょうど祭壇と背中合わせの場所には、こんなものが。火をたくのに使われるようですね。

 

ところが、ところが!

鬼すべ堂の中は大変よく見学できたのですが、鬼すべ堂には案内板一つありません。

勢いで来てしまった私が悪いのですが……簡単な由来とか歴史とか、どこに行けば資料があるかくらい、手掛かりがあるかと思ったのですが。

これでは鬼すべ神事の謎は解けそうにありません。

こういう時に頼りになるのは現地の図書館か、歴史資料館。

今の時代はネットさえあれば、どこの図書館でも蔵書が検索できるので便利。

蔵書を検索しましたが……「鬼すべ神事」のキーワードにひっかかる蔵書は引っかからず。

しかしもう一つ、別件で全文を探している資料に関連する情報が、現地の図書館にあるらしいことが判明したので、さっそく向かいました。

 

2.「鬼すべ神事」の変遷と真実に迫る

現地の図書館で、先に別件の情報を探します。

するとすると、『太宰府市史 民俗資料編』に全文が載っていると判明。

禁帯出のこの資料の目次をめくると、なんと第1章が「太宰府天満宮のまつり」。その中に、「鬼すべとうそ替え」がしっかり一項を割いて解説されているではありませんか。

かなりラッキーでした。

全13巻14冊、しかも一冊一冊が広辞苑なみに厚い「太宰府市史」から、目指す情報を探すのはほぼほぼ不可能でしたでしょうから。

そういうわけで目指す資料をコピーさせてもらい、家に帰ってじっくり読みこむことが出来ました。

 

そこで分かったことがいくつかありますので、ご紹介したいと思います。

①鬼すべ神事が始まったのは986年。大宰大弐・菅原輔正によって始められた。

②室町時代までは「鬼おこない」と呼ばれ、正月に天下泰平・玉体安穏などを祈念した修正会(しゅうじょうえ)という法要の最後に行われていた。この頃は法要の方がメインで、現在のように藁や松葉をふすべるような大がかりなイベントは行われていなかった。

③江戸時代になると、法要の方は簡略化されるようになり、鬼を追う儀式が時代を下るにつれ盛大になっていった。

 

現在のような「鬼すべ神事」は、江戸時代以降に成立したもののようです。

『筑前国続風土記』では、「鬼とり」といい、うそ替え神事と法事の後、貧人をからめて鬼と名付け、堂のあたりを引きまわり、杖でたたき、松の葉で煙を出していぶし、「鬼とりたり」とののしったとあります。(結構ひどい)。

また、『筑前国続風土記附録』には、衆徒などが牛王杖で儺鬼を打つこと、鬼は9度堂内を回ることなどが記されています。

「鬼すべ」と言われるようになったのは、江戸時代後期、19世紀初めころには鬼をふすべる(=煙を出していやがらせる)やり方が松葉だけでなく藁をも燃やし、そこに重点が置かれるようになったからだそうです。

鬼役は、現在は町内で役目が決められていますが、参拝に来た人を捕まえて鬼役をさせる、ということは最近まで実際行われており、しかも誰が鬼にされたかは秘密だそうです。昔話のとおりですね。神事の後には鬼に米一俵と酒一升を渡していたそうです。

次回の記事では、「鬼すべ神事」の具体的な内容をご紹介し、例の昔話と照合して、「異人殺し」との関連について考察したいと思います。

 

鬼すべ神事の概要についてはこちら↓

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最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

(参考文献:『太宰府市史 民俗資料編』)

 

 

 

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