皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます。
さて、前回の記事にはたくさんのアクセスを頂きありがとうございました!
この記事について、紹介されていた昔話は、「異人殺し」ではないか? というご指摘を頂きました。
実は私も、「この昔話は『異人殺し』の変型版ではないか?」という視点から調査を始めようと思い、高名な民俗学者・小松和彦先生の『異人論』を読んでいたところでした。
前回の記事でご紹介した昔話が「異人殺し」に類するものであるかは、まだこの時点では判断を保留したいと思いますが、その前に「異人殺し」が何なのかについて軽くおさらいしておこうと思います。
1.小松和彦『異人殺しのフォークロア』
民俗学の権威である小松和彦先生(1947~)が1984年に『現代思想』に発表した論文『異人殺しのフォークロア』は、全国に残っている「異人殺し」と呼ばれる伝説から、閉鎖された村社会の精神構造を明らかにしようと試みたものです。
この「異人」とは、折口信夫先生の「マレビト」という概念を引き継いだもので、閉鎖された村社会にとってのよそ者を指します。
「異人殺し」は、村社会にやってきた異人が何らかの理由で殺されて……という民話の類型ですが、「異人殺し」で殺される異人は、中でも行者や山伏、六部(巡礼僧)や巫女などの宗教者、座頭(盲人の琵琶法師など)が多いです。
「異人殺し」には色々なパターンがあるのですが、共通する骨組みには次のようなものがあることが多いです。
①村に行者や山伏、六部(巡礼僧)や巫女、座頭などのいわゆる「マレビト」がやって来る。
②「マレビト」は何らかの理由で殺される(持ち物を略奪されることもある)。
③(持ち物を略奪した側が一時的に裕福になるが、)その後不幸が続く。
④殺された「マレビト」を祀ったり供養したりすることで祟りが収まる。
2.「異人殺し」の一例「こんな晩」
異人殺しには色々なパターンがあります。
全国的にも似たようなお話が多く、「異人殺し」が昔話に変形した例としてよく知られている話に、「六部殺し」のお話があります。以下Wikipediaよりの引用です。
ある村の貧しい百姓家に六部がやって来て一夜の宿を請う。その家の夫婦は親切に六部を迎え入れ、もてなした。その夜、六部の荷物の中に大金の路銀が入っているのを目撃した百姓は、どうしてもその金が欲しくてたまらなくなる。そして、とうとう六部を謀殺して亡骸を処分し、金を奪った。
その後、百姓は奪った金を元手に商売を始める・田畑を担保に取って高利貸しをする等、何らかの方法で急速に裕福になる。夫婦の間に子供も生まれた。ところが、生まれた子供はいくつになっても口が利けなかった。そんなある日、夜中に子供が目を覚まし、むずがっていた。小便がしたいのかと思った父親は便所へ連れて行く。きれいな月夜、もしくは月の出ない晩、あるいは雨降りの夜など、ちょうどかつて六部を殺した時と同じような天候だった。すると突然、子供が初めて口を開き、「お前に殺されたのもこんな晩だったな」と言ってあの六部の顔つきに変わっていた。
ここで終わるものもあれば、恐ろしさのあまり子どもを殺してしまったり、親がショック死してしまったりと、様々なバリエーションがあるようですが、怖い話ですね。
最後の子どものセリフから「こんな晩」と略されることもあります。
歴史的事実かどうかはともかくとして、こういった民話が語り継がれてきたということは、「異人殺し」が「歴史的事実としてあってもおかしくなかった」という共通認識が村社会の中に受け継がれていたということだ、と小松和彦先生は言われています。
また、とある村人がこっそり異人を殺す、というパターンだけでなく、よそ者を生贄などのために村人の総意で殺す、というパターンの『異人殺し』もあります。
事例3 比丘尼塚
この辺の九頭竜川堤防は氾濫ごとに切れたので、村人は占者の言に従って通りかかった尼をとらえて人柱として生き埋めにしたという。(福井県吉田郡東藤島中ノ郷)
3.変形する「異人殺し」の民話
「異人殺し」の民話は、現代の我々から見ると、かなり残酷で不条理なものです。
ですから、語り継がれたり文字化されたりする時点で、改変されることもあります。
小松和彦先生は『異人殺しのフォークロア』の中で、とある県のある村で(本文には実名あり)語り継がれていた伝説が次のように改変された例を紹介されています。
(もともと村にあった噂話)
この村の名門の家は、かつて病に倒れて迷い込んだ六部を看病してやっていた。ところが、その六部が大金を持っているのに気づいて六部を殺害し、その金を元手に栄えた。ところが子孫に六部の霊が祟るため、碑を建立して六部の霊を慰めた。
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(地域誌に伝説として記載された話)
この村に遍路(巡礼者)が一夜の宿を乞うた。民家の主人は招き入れるが、その日のうちに遍路は病を得て、手厚い看病の甲斐もなく他界してしまう。遍路の生まれた国に連絡すると、遍路の兄がやって来て、形見の枕と杖を割ると、なかから黄金が出てくる。兄は村の者に礼を言い、十分な黄金を置くと、墓碑を建ててくれるように願って去った。
「異人殺し」の部分がすっぱり抜け落ち、美談に変えられてしまっていますね。
やはり「異人殺し」はあっても仕方のないことだった、という認識を得ていた反面、言うのがはばかれることでもあったのでしょう。
また、似たような伝説の周囲で、当事者の近親者、村の伝説に詳しい古老、一般の村人との間で話が異なってしまっている、という例も紹介されています。
このように、「異人殺し」は語り継がれる過程で、意図的にもしくは無意識的に変えられる可能性もあるお話なのです。
4.「異人殺し」をテーマにした小説たち
以下は半分雑談です。
私が「異人殺し」を知ったのは、小野不由美さんの小説でした。
日本を代表するホラー作家の一人で、私もこの方のホラーはすべて読んでいるというほど愛読している方なのですが、この方は「異人殺し」を小説の中でたびたび取り上げられています。
(おそらく)最古は、講談社ティーンズハート文庫の『悪霊なんかこわくない』。
その後『悪霊』シリーズとして大ヒットし、『ゴーストハント』としてロングセラーシリーズになっている作品のさきがけ的作品(登場人物は別)。
田舎に嫁いだ姉からのSOSで、女子高生の主人公が婚家を訪ねると、恐ろしい怪異に見舞われて……という作品。今は絶版になっています。
30年以上読んだ作品にもかかわらず、とびぬけたホラー描写は鮮明に覚えています。怪異の原因と異人殺しが密接に関わっています。
(楽天で300円台で売られていて、「ラッキー!」とポチろうとしたら、一瞬で万単位に値上がりしていました。甘くない)
それから『ゴーストハント 6巻 海からくるもの』。
巻によってテイストの違うホラーと、魅力的な登場人物で大人気になった「ゴーストハント」シリーズですが、私は民俗の闇を感じさせるこの作品が一番好きです。ゴシック・ホラー調の5巻も大好きですが。こちらにも「六部殺し」の話が出てきます。
最後に子ども向けとして書かれた『くらのかみ』。
子ども向けと侮るなかれ。本格的なミステリーでありながら、ホラー・ファンタジーの要素もしっかり入った読み応えのある小説。家にかけられた呪いの謎を解き、自分たちの中に紛れ込んだ座敷童を特定するため、子どもたちが大奮闘するお話です。
さてさて、前回の記事でご紹介した昔話は、「異人殺し」の変形版と言えるのか?(前回の記事はこちら↓)
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それは「鬼すべ神事」についてもっと詳しく調べれば分かるかもしれません。
調査を続けていこうと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!
(参考文献;小松和彦『異人論』筑摩書房,1995年)