皆さんこんにちは、珠下なぎです。
今日は久々に読書メモです。
先日図書館に行きましたら、思いもかけない新着本に出会いました。
ミヒャエル・エンデ&ヴィーラント・フロイント『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』。
ameblo時代の読者さんはご存じの方もおられるかもしれませんが、私はエンデの大ファンです。
小学校の時に映画で見た『モモ』から始まり、『ジム・ボタン』シリーズや数々の絵本、そして私の中で至高のファンタジーと思っている、『はてしない物語』。
大人になってから、エンデが資本主義社会に数々の危惧を抱いていたこと、『モモ』で描かれた「時間」が本当は「お金」のことだとを知った後、ますますエンデの世界に興味が沸き、大人向けの作品も読み漁ったのです。
今回見つけた作品は児童書ですが、エンデが3章までを完成させ、未完のまま残されていた作品を、エンデの世界に造詣の深い児童文学者・ヴィーラント・フロイントが完成させたのものです。
物語はこんなふうに始まります。
「暗黒の中世のまっただなかの、1週間のまんなかの水曜日、おまけの真夜中のこと。穴ぼこと水たまりだらけのいなか道を、のっぽな箱型の馬車が、がたごとゆれながら、三頭のロバに引かれて進んでいた」
簡潔ながらもリズムがよく、引き込まれる冒頭。さすがです。
この物語の主人公はこわいものしらずの少年クニルプス。悪名高い盗賊のラウバインに弟子入りしようと、家出して単身ラウバインの根城に向かいますが、実はラウバインは臆病で心優しい男で……という物語。
他にも、勇敢で賢いお姫様や、王位を狙う魔術師、物語を俯瞰する賢いオウムのソクラテス、財宝に貪欲な竜など、魅力的なキャラが勢ぞろいします。
お姫さまや魔術師は、フロイントが書き足した部分で登場します。ただ、これらのキャラは、既にエンデが書き終えていた部分で、「人形芝居の人形たち」として描かれています。
それを「エンデが与えた登場人物」と解釈し、「物語の行方を追って飛び回るオウムのソクラテスは、物語の展開を模索しながら執筆したフロイント自身と重なる」(訳者あとがきより)そうです。
物語の展開は、多数の登場人物の視点を生かし、それぞれの思い違いが思わぬ展開を生むなど、他のエンデ作品にも見られる手法を見事に踏襲しています。
エンデの弟子であるラルフ・イーザヴも『はてしない物語』の続編を記していますが、『盗賊ラウバインと従者クニルプス』の方が、よりエンデの執筆部分と継ぎ目なく滑らかにつながっているように思いました。
ただ一点違和感?を覚えたのは、登場する竜が、「強欲で、財宝に執着する悪者」として描かれていたところ。
老荘思想に通じ、東洋の思想にも造詣の深かったエンデは、『はてしない物語』の中では竜を「幸いの竜フッフール」として登場させ、物語のもう一人の主人公・アトレーユの相棒として描いています。
これは怪物としての西洋の竜ではなく、竜神や聖獣としての東洋の竜のイメージを反映させたもの。
人形劇団の馬車の中に描かれた竜は、果たして悪者として描かれる予定だったのかな、とは思いました。
それを差し引いてもエンデらしさを生かして完成させたフロイント氏の才能は並々ではなく、しかもエンデ世界への深い理解と尊敬をうかがわせています。
物語としてももちろん素晴らしい。お勧めの一冊です。
エンデの思想についてはamebloでも書いておりますので、興味を持って下さった方は是非ご覧下さい!
エンデの思想|物語る心療内科医・珠下なぎのブログ (ameblo.jp)
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!