皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さってありがとうございます!
「写真で見る『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台」シリーズ、楽しんで頂けましたか?
お近くへお越しの際は是非、お立ち寄りくださいね。
本日からは「歴史メモ」のエッセーに戻り、「蝶のちょっと怖いお話」をさせて頂きます。
なんでいきなり蝶? になったかと申しますと……。
私がTwitterで時々お話させて頂いている、児童文学作家のおおぎやなぎちか様。
おおぎやなぎ様が2月に上梓された新刊が、『家守神 2 呪いの蝶がねむる蔵』だったのですが……。
作者様久々のファンタジー、しかもシリーズものとあって、発売前から楽しみにしていた私は、「呪いの蝶」と聞いて色々想像をたくましくしていました。
蝶には色々怖い意味がある、という話は、あちこちの小説や本で聞きかじっていたからです。
それでつい、ご本人のTwitterに「蝶には色々怖い意味があるので楽しみです!」などとリプしてしまいまして(笑)。
そうすると、時々このブログを見て下さっているおおぎやなぎ様から、「ブログで是非!」と勿体ないお言葉を頂いてしまったのです。
前置きが長くなってしまいました、すみません。
そういうわけで、今日は蝶のお話です。
私がもともと聞きかじっていた「蝶の怖いお話」は大きく分けて二つありました。
一つ目は、蝶は死者や生きている人の魂が姿を変えたものである、というお話。
二つ目は、揚羽蝶は鬼の乗り物である、というお話。
今回はまず、一つ目のお話について、調べたことをご紹介しようと思います。
蝶が死者の魂である、という考えは古くから日本にありました。
『御伽草子』の『朝顔の露の宮』には亡くなった若君の霊が胡蝶となって花々に戯れたお話がありますし、し、『発心集』にも花を愛した人が死後蝶に生まれ変わったお話があります。また、『狗張子』には、美少年との仲を裂かれた法師が絶食死し、相手を取り殺した挙句、相手の父親の家に無数の毛虫となって湧き、蝶になって群がった、などという、ちょっとぞっとするようなお話も載っています。
蝶が死者の化身である、という考えは、民間にも広く浸透していました。
童話作家であると同時に民話の収集を幅広く行ったことで有名な松谷みよ子さんは、『現代民話考』『異界からのサイン』の中で、戦後の日本でも、「死んだ人の魂が蝶になって帰ってきた」と考えられたお話が複数あることを紹介されています。
中には、童話作家のたかしよいちさんのご夫人が亡くなった後、黒い揚羽蝶になって帰ってきたというお話も。
近代から現代の作家にも、死者が蝶になって帰ってくる、というモチーフはあちこちで用いられています。
小泉八雲氏の『怪談』の中には、婚礼直前に死んだ女性の魂が、臨終を前にした男性の前に蝶の形をとって現れる、というお話があります。
新しくは桐野夏生氏の『女神記』の一部は、死後蝶になってこの世に舞い戻った女性の視点で語られます。
一方、生きている人の魂が体を抜け出して蝶になる、というお話もあります。
有名なのは『荘子』の中の『斉物論扁』の「胡蝶の夢」でしょう。
夢の中で胡蝶となった荘子は楽しく飛び回って自分が何者であるかも忘れますが、ふと気づくと、自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分になった夢を見たのだろうかと考える。そこから万物の変化とはこうしたものだと悟り、自分が胡蝶であり胡蝶が自分であるという境地に辿り着く、というお話です。
蝶が死者の魂であるという考え方から、蝶の発生を凶兆と捉えた例もあります。
『吾妻鏡』には、1186年、鶴岡八幡宮の境内に黄色い蝶が大量発生し、反逆者ありとの託宣ではないか、怪異だと騒がれたお話が載っています。
蝶は死者の魂であり、あの世からの使者。あの世とこの世の境界線にあるものについては、恐れられたり、色々な意味づけがされることは歴史の中で数多くあります。
私がライフワーク(?)のように書いている鬼の世界も、「この世の人々の常識で測り知れないモノ」という意味で、あの世とこの世の境界にいる人々と言ってもいいでしょう。
蝶のお話は次回に続きます。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
参考URL:https://www.weblio.jp/content/%E8%9D%B6?edc=MNGTR