皆さんこんにちは、珠下なぎです。
先週からはハロウィンの歴史についてのお話をさせて頂きます。
先週は、ハロウィンの起源となったケルト人のお祭・サムハイン祭のお話をさせて頂きました。
ケルト人は妖精を信じていたことは、先週の記事でお話ししましたね。
また、この日には死者や妖精の世界とこの世が交わるという信仰があり、これは現在のハロウィンにも受け継がれています。
今日からは、ハロウィンがどのような形でキリスト教文化圏の中に入っていったか、それをお話しすることに致しましょう。
ハロウィンはもともと、キリスト教にとっては異教のお祭でした。
けれど、キリスト教も文化圏の拡大に伴って、様々な異文化を吸収するようになります。
609年、ローマ教皇グレゴリウス一世が文化混合主義を掲げます。
この時5月13日を全ての聖人のためのお祭とした万聖節(ばんせいせつ)が始まるのですが、これはもともと古代ローマのお祭・死霊祭(レムリア)に合わせて定められたものでした。
8世紀半ば、同じくローマ教皇グレゴリウス3世は、この万聖節を11月1日に移動させます。これは10月31日のサムハイン祭の翌日に合わせて定められたものでした。
続いて1000年頃、11月2日に万霊節が追加されます。万霊節は、煉獄にいる祖先の霊に祈りをささげるお祭です。
ハロウィンという名称の起源は、ここにあります。
万聖節=オールハロウド・デイの前夜、オールハロウド・イヴの名前で呼ばれたことが、後に縮まってハロウィンとなったのです。
こうしてキリスト教の中に取り込まれたサムハイン祭ですが、ケルト人の妖精信仰やイギリスの古い伝説の数々は、そのままハロウィンの中に受け継がれました。
ジャックオランタンの伝説は、皆さんご存じでしょう。次のような伝説です。
ジャックという極悪人は、死んだ後あまりにも悪人だったので地獄でも嫌われ、入れてもらえませんでした。それで天国に向かうのですが、天国でも当然悪人なので入れてもらえません。仕方なく地獄に舞い戻っても追い出されます。それでカブの中に蠟燭を灯した提灯を持って、永遠に天国と地獄の間を行ったり来たりしている。だから、ジャックの提灯、という意味でジャックオランタンができた、という伝説ですね。
ちなみに、ジャックオランタンにかぼちゃが使われるようになったのは、アメリカでハロウィンが祝われるようになった後の話ですから、19世紀末以降の話です。
これについてはまた後日お話しします。
この伝説はいつから始まったかは分かりませんが、ハロウィン全体の歴史の中で見ると、結構新しいようです。
もともとウィルオウィスプというもっと古い伝説がイギリスにあり、ジャックオランタンの伝説はそっちをもとにしているようなのです。
ウィルオウィスプの伝説は次のようなものです。
ウィルは生前は極悪人で、遺恨により殺された後、霊界で聖ペテロに地獄行きを言い渡されそうになった所を、言葉巧みに彼を説得し、再び人間界に生まれ変わる。
しかし、第二の人生もウィルは悪行三昧で、また死んだとき死者の門で、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と煉獄の中を漂うことになる。それを見て哀れんだ悪魔が、地獄の劫火から、轟々と燃える石炭を一つ、ウィルに明かりとして渡した。この時にウィルは、この石炭の燃えさしを手に入れる。そして、その石炭の光は人々に鬼火として恐れられるようになった。
ウィルオウィスプとは、「一掴みの藁のウィリアム(松明持ちのウィリアム)」という意味だそうです。
イギリスでは、夜の墓場や沼などに浮いている光を、ウィルオウィスプと呼んで恐れました。
これは腐敗した死体から発生したリンやなどが燃えている現象で、日本でいう人魂と同じ現象です。
昔のイギリス人も日本人と同じように、同じ現象から死んだ人の魂がさまよっている様子を連想したというのは面白いですね。
また、煉獄にいる祖霊に祈る万霊節がハロウィンから始まる三日間のお祭の最終日であることの影響もあるかもしれませんが、ハロウィンの日にあの世とこの世がつながるっていうのも、なんとなく日本のお盆に似ている気がします。
ちなみにハロウィンとは直接関係ありませんが、幽霊への関心が高い点も、日本とイギリスに共通しています。
さて、万聖節前夜として誕生したハロウィン。これがイギリス諸島でどのような発展を遂げ、どのように祝われていくのか。
次回はそれをお話ししたいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!