皆さんこんにちは、珠下なぎです。
7世紀の大宰府を舞台にした『遠の朝廷にオニが舞う』ですが、このブログでは、今は失われてしまった古い時代の鬼の姿に迫り、鬼の正体を探る旅を続けていきます。
現在日本に残る最古の鬼の文献は『出雲国風土記』に記載されている、「目一鬼(まひとつおに)」の伝説です。
これは、ある人が田畑を耕していたところ、目が一つの鬼がやってきて、その人の息子を食べてしまった、という話です。
目が一つの鬼というのは、神話に登場するところの鍛冶と製鉄の神、「天目一箇神(あまのひとつまのかみ)」と同一のものとも考えられます。
製鉄に従事する人々は、火花で目をつぶされる機会が多く、片目になりがちなため、一つ目の神や妖怪といえば製鉄との関わりを示します。
田畑を耕す人々は、農耕民族、つまり弥生人の末裔であり、弥生人が作り上げた権力構造に従う人々です。
この話からは、農耕民族であり、当時の権力に従う人々が、産鉄民族を鬼として恐れていたことが読み取れます。
出雲はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した場所でもあります。
ヤマタノオロチの尻尾からは、スサノオの持つ剣を欠かせてしまった(つまりスサノオの剣より硬い)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ=のちの草薙の剣=3種の神器の一つ)が出てきます。
これをスサノオによる産鉄民族の支配と解釈する説もあります。
古事記の世界は、馬が登場することなどから、5世紀以降の話と考えられています。
追儺=疫鬼の概念が伝わってきた時代とそう時代をたがえずして、鬼が産鉄民をルーツに持つと示唆される話が伝わっていることは、なかなか興味深く、鬼のルーツが一つではないことを証明してくれます。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!